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傾ける殿堂
かたむけるでんどう
著者上里 春生
文字遣い新字旧仮名
底本 「沖縄文学全集 第1巻 詩Ⅰ」 国書刊行会
1991(平成3)年6月6日
初出「文章世界」1917(大正6)年
入力者坂本真一
校正者hitsuji
公開 / 更新2019-06-02 / 2019-05-28
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

――一切の世界進行を、「自己運動」に於て、自発的発展に於て、生ける実在に於てあるものとして把握する認識の条件は、それらの対立の認識これである。……発展は対立の闘争である
――レーニン

かつて世が苦悩を塗り罩めた時
偉大なる殿堂は輝いてゐた。
勝利の山に燦然と
晴朗の日月を飾帯し
円満具足の己れを持した
青い時から、青い時まで
最上善の指標をつとめた。

所謂衆生は秘かに汗ばみ
所謂庶民は僅かに息吐き
所謂人類は爪尖たてゝ
苦悩の大地の垣根の辺りに
是を仰いで浩歎した。
袖の下から歎美した。
その栄光をうべなふに――

だが其の栄光を支へてゐたのは
汚い泥土の湿地を匍匐ふ
歎く葦原の類のみでない
勝利の偉勲の刃でもない。
地が明かに許容したのだ
在るべきものゝ斯くては在るのを。
そこでは錯覚が支配した――

偉大なる殿堂は輝いてゐた。
恍々として玄義の如く
燦々として白毫のやうに
厳として聚ゆる権利の如く
あらゆる慧智の王府のやうに
偉大なる殿堂は輝いてゐた
勝利の山に輝いてゐた。

偉大なる殿堂の存在を仰げよ
偉大なる殿堂の旗幟を仰げよ
偉大なる殿堂の紋章を読めよ
偉大なる殿堂の齢を数へよ
偉大なる殿堂の広※[#「衣」の「亠」に代えて「立」、316-上-7]を撫せよ
偉大なる殿堂の向後を問へよ
偉大なる殿堂の内陣を覗けよ。

誰が初めて建てたのか
誰が太初に発見けたか
知られない強権の略取の上に
恐らくは人類の競争が
側目も振らずに積みあげて来た
絶大無量の生命の剰余よ―
偉大なる殿堂は輝いてゐた。

だがその内に世紀は老けた
月と日と星がその上に訪て
交り番こに瞬いては去つた。
旗幟はやうやく汚れて悲み
風がその広※[#「衣」の「亠」に代えて「立」、316-下-2]に陰影を与へた。
何やらん歓会の声の綾にも
焦燥が青黒い貌をもたげた。

偉大なる殿堂に時は来た
宛ら燃え立つ大森林の
すさまじい夜景の熱風のやうに
あの殿堂を揺がした
喝采の声も嗄がれていつた。
今は幻滅の除夜の真近だ。
蒼ざめた勝利が顫へてゐる。

正義はその立つ支柱を失ひ
是にやうやく桎梏となつて
偉大なる殿堂を自壊に導く。
暗い土台の土の底では
手を差し交へて喚ぶのであらう。
幾億の人柱の恨みの声が
怒濤のやうに、むくれ合つてゐる。

人、生れて誰か思念を拒否する?
人、生れて誰か己れを否まう?
日が野にりようらんと在るやうに
各々も各々の意志によりたい。
けれ共実在は決定である。
各々の意志とは別個である。
厳として実有が各々を意志する。

斯くて殿堂は傾いていつた。
刻々と斜めに軋る痛苦に
堪へがての人柱のつきぬ恨みが
遂に地の底に巣くふに到つた。
聞け! 陰惨な行疫神八将の
不吉な叫び声の渦巻きを…………
偉大なる殿堂は傾いてゆく。

地平の彼方に血の浸む頃
偉大なる殿堂は声さへ…

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