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エタに対する圧迫の沿革
エタにたいするあっぱくのえんかく
作品ID54426
著者喜田 貞吉
文字遣い新字新仮名
底本 「被差別部落とは何か」 河出書房新社
2008(平成20)年2月29日
初出「民族と歴史 第二巻第一号 特殊部落研究」1919(大正8)年7月
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-02-18 / 2014-09-16
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

1 エタに対する甚だしい圧迫の事実

 名称廃止以前のエタに対する幕府その他諸藩当路者の発した布告法令の文を見ると、その圧迫の甚だしかった状態は、実に悪寒戦慄を覚えしむるものがある。まず一例として、「穢多非人廃止令」の出た明治四年八月より僅かに八ヶ月前、五条の御誓文に於いて旧来の陋習を破りて天地の公道に基づくべしと宣し給える明治元年三月より三十三ヶ月の後なる、明治三年十二月に、和歌山藩が発した取締令を左に紹介する(土井為一君報告による)。

一、皮田の奴近年風儀不レ宜、間々不埒の義も有レ之候間、同奴共へ別紙箇条の通相触れさせ候事。
一、市中は勿論在中たりとも、通行の節片寄候て、往来の人へ聊も無礼ヶ間敷儀不レ可レ致事。
一、朝日之出より日之入迄之外、市中は勿論、町端たとも徘徊不二相成一。且在中にても、夜分妄に往来不二相成一事。
   本文節分は夜五時迄、大晦日は夜九時迄、徘徊差免候事。
一、町内にて飲食致候儀不二相成一事。
一、雨天之外笠かぶりもの不二相成一事。
一、履物は草履の外総て不二相成一事。

 これが同じ帝国内に生をうくる我が同胞の或る者に与えられた束縛であった。皮田はすなわちのエタで、皮田の奴は往来の人に無礼がましき事なき様云々の文の如きは、正しくエタを人間以外に見た書き方であると言わねばならぬ。これはむしろ極端の例で、地方によりて多少の寛厳の差はあったが、しかし大体に於いて相似たもので、武士に対しては勿論、町人・百姓に対しても、その屋内に入るを禁ぜられ、門構えの家では門外で草履をぬぎ、跣足のまま入口土間の敷居外に至り、敷居に手をついて用談を申し上げる。普通の町人百姓の家へ行っても、せいぜいのところが土間の敷居に腰をかけ、もしくは軒下の土上に座して応対する。通婚・同居・同火の如きは、無論思いも寄らぬところであった。エタ・非人の同情者柳瀬勁介氏が、潜心その沿革を調査して、遂に「社会外の社会穢多非人」の著をなすに至られた動機は、氏がかつて東京法学院にあって古代法制の沿革を研究せられた際に、エタ一人の生命が平民の七分の一に相当するとの判決例のあるのを見て、慷慨悲憤の念を起された為であったという。実際彼らは、為政者から普通民の七分の一しか価値がないと認められた時代もあったのである。安政六年に江戸山谷の真崎稲荷の初午の折に、山谷の若者とエタと衝突して、エタが一人殺された。そこでエタ頭弾左衛門は、下手人の処刑を北町奉行に願い出たところが、奉行の宣告に、およそエタの身分は平民に比して七分の一に相当するから、今六人のエタを殺して後、相当の処刑をなすべしと云ったので、弾左衛門も遂に泣き寝入りになったというのである。何ら標準のない乱暴なこの比量にも屈服しなければならなかった彼らの境遇の、憐れむべかりしは言うまでもないが、これを以て名裁判だなどと歓迎した当時の状態も、ま…

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