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来り人の地位と職業
きたりにんのちいとしょくぎょう |
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作品ID | 54434 |
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副題 | 平民申付候事 へいみんもうしつけそうろうこと |
著者 | 喜田 貞吉 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「被差別部落とは何か」 河出書房新社 2008(平成20)年2月29日 |
初出 | 「民族と歴史 第二巻第一号 特殊部落研究」1919(大正8)年7月 |
入力者 | 川山隆 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2013-02-27 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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山の幸、海の幸にのみ活きておった太古の状態から、次第に進んで世の中の秩序も整頓し、住人にも一定の株が出来ては、他国者や風来人がやって来て、住み着こうとしても容易な事ではない。中には京都の北の八瀬の様に、絶対に他村者をすら入れぬという頑固なところもある。よしやうまく住み着いて、職業上交際上、平素あまり区別のない程にまで融和が出来ても、なお縁組などの場合には、「筋」が違うからという故障がいつまでも起って来る。今日の様に通信交通が便利で、その素性も、移って来た理由も容易に明らかにされる時代とは事が違って、どこの馬の骨やら、人殺しをして逃げて来たのやら、本人の口上以外にサッパリその潔白を証拠立てる事の出来ない世の中には、玉石混淆してまずこれに深入りしなくなるのに無理はない。そこで彼らは、長く「来り人」として区別せられる。特別の学問技芸を有して、手習師匠や、医者の真似事でも出来る様なものは格別、何ら取り得のないものでは、やっと村民の同情に訴えて、村外れの空地などに家を建てさせてもらって、もしくは家を建ててもらって、村人の為に使い歩きや物の取片付けや、火の番や、腕っ節の強いものならば泥棒に対する警固やなどの如き、村人のいやがる職務を引受けて、生活の資を求めて行くに至るのは、けだしやむをえなかったことであろう。かの「行き筋」とか、「掃除筋」とか、「番太筋」とかいう筋のものの中には、かくの如くにして起ったのが少くなかろうと解せられる。かくてその中でも運の悪かったものは、非人扱いにされるに至ったのであろう。
同じ「来り人」の中にも、手に或る職業を有していたものは、そんなに人の嫌がる仕事をせずとも、その職によって立派に生活して行けるから、あえて賤民非人の扱いを受ける様な事はなかったであろうが、それでもなお「筋」が違うという事で、ながく区別せられていたのは、これもやむをえなかったことであろうと思う。阿波那賀郡立善寺村の棟付帳に、「桶屋筋」として区別したのがあるのも、こんな事からかもしれない。鍛冶屋を忌がったり、竹細工人を嫌うたりする地方のあるのも、一つはこんな事から来ているのかもしれぬ。中にも竹細工は、到る所に材料が得やすく、仕事も比較的簡単なので、通例は山家などの浮浪民の職業となっているが、これらの浮浪民が或る村に住み着いたとすれば、所謂「来り人」となって、やはり村外れの小屋に落ち付くという事になるのであろう。
旧徳島藩での、「郷士格以下身居調査書」というものに、
他国より年来罷越居候流浪人、吟味の上村方故障無之分は、居懸百姓又は見懸人に相居、医者又は賤しからざる渡世仕来候者は、郡付亦は郷付浪人等に申付候様、享和二戌年御内達に有之。
とある。こんな有様で、相当の身分のものは相当の待遇をも受けたが、普通には役所向きでは見懸人ということに扱われ、民間では「筋」が違うとし…