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遠州地方の足洗
えんしゅうちほうのあしあらい |
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作品ID | 54435 |
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著者 | 喜田 貞吉 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「被差別部落とは何か」 河出書房新社 2008(平成20)年2月29日 |
初出 | 「民族と歴史 第二巻第一号 特殊部落研究」1919(大正8)年7月 |
入力者 | 川山隆 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2013-02-27 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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徳川時代の法制では、エタは非人の上に立って、これを支配監督する地位にいたのではあるが、非人には通例足を洗うて素人に成ることが出来るという道が開いていたのに反して、エタには殆どこれが認められてないのが普通であった。これエタは神の忌み給う肉や皮の穢に触れたもので、人そのものが穢れているのであると誤信された結果である。したがって非人と呼ばれたものの多数が解放された今日、なおエタと呼ばれたもののみは取り残されるに至ったのである。しかるに遠州の或る地方には、かかる厳重な習俗の行われた時代にも、なお「打上げ」と称して、足洗いの出来る道が設けられておった。「全国民事慣例類集」に、遠江国敷知郡地方では、「三代皮剥ぎの業をなさざれば、平民となるの例あり。穢多は所持地多分ありて、貢租を納め、中には富豪の家あり。平民へ金銭を貸付る者もあるなり」と見えている。幕府の制では弾左衛門の主張のままに、絶対に足洗いを許さぬ方針を執り、他地方に於いてもこれに倣って、だんだん階級観念が盛んになるとともに、またエタの人口の増殖とともに、エタに対していよいよ甚だしい圧迫を加える様になっても、この遠州地方のみには、まだ幾分寛大な扱いが遺っておったものとみえる。そこで、これらの地方に於ける維新後の状況はどうであるか、他の地方とはどう違っているかを知りたく、かねて調査の機会を求めていながら、未だ着手に及ばなかった折柄、同地方の或る篤志家から、最も有益なる、かつ最も愉快なる左の如き完全融和の事実の通信を得た。
「完全に融和されたる部落」
遠江 奇聞老人
静岡県浜名郡□□□村字□□と称する部落は、通称六軒家と云ひ、小部落にして、幕府時代に在ては人民皮細工・草履細工を業とせしが、明治の初年頃従来の業を全廃し、みな農業に就き、婦女子は織業を営み、一般民と通婚行はれ、完全に融和されて殆ど昔日の痕跡を知るもの絶てなき状態なり。
同郡□□□村□□と称する部落は、浜名湖岸に接し、現在戸数六十戸余、旧幕末の頃に於て人民の営める皮細工・草履細工を全廃し、足洗ひと称し、従来の細工道具を村社に奉納す。今尚同地氏神社殿には昔の道具伝り、存在せりとの説あれ共、殆ど今日にては過去の痕跡境遇を知るものとてなく、一般民と完全に融和し、通婚行はれ、殊に郡下屈指の蚕業発達し、富の程度向上し、総ての点長大足の進歩を為せり。
同郡□□村に小字□□□と称する部落あり、戸数三十戸内外にして、旧幕末の頃に至り、皮細工・草履細工を廃し、足洗して農業に従事せし故、今日に於ては旧態を知るものなく、一般民と同等の進歩発達を見るに至れり。
磐田郡□□□村□□と称する部落は、戸数三十戸余の小部落にして、人民の営める皮細工・草履細工は明治の初年頃全廃し、農業に従事し、已に一般民と完全に融和通婚行はれ、昔日の痕跡を知るものなきに至る。
引佐郡□□…