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原子核探求の思い出
げんしかくたんきゅうのおもいで |
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作品ID | 54447 |
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著者 | 長岡 半太郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「長岡半太郎隨筆集 原子力時代の曙」 朝日新聞社 1951(昭和26)年6月20日 |
初出 | 「科學朝日」1950(昭和25)年1月 |
入力者 | しだひろし |
校正者 | 染川隆俊 |
公開 / 更新 | 2013-12-04 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 14 ページ(500字/頁で計算) |
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湯川君の受賞
昭和二十四年十一月四日の諸新聞は、湯川秀樹博士が中間子の研究により、十二月十日ノーベル賞を受けらるゝ決議が、ストックホルム學士院で通過したことを傳えた。學界はもちろん日本國民は、この吉報に對して歡喜の聲を發せざるものはなかつたろう。
由來ノーベル賞は、世界で優秀な科學研究を蒐集檢討して授與するものであつて、研究としては粹の粹なるものを選拔するにより、賞を受くるものの名譽は論ずるに及ばず、またその半面には各國でノーベル賞を受けた學者を數えて、その國の文化程度に輕重を付するに至つた。
しかるにわが國では、未だ一人もその選に當つたものはなかつたから、或る日本人は、ノーベル賞は東洋人に與えないのか知らんとまで僻目で臆測した。まことに恥かしい邪推であつた。こんど湯川君が受賞者に當選されたのは、正しく人種の區別を離脱し、專ら論文の價値を標準となす方針を表示し、顏色の黄白を區別せざるを明確にした。殊に湯川君の攻究された中間子は、宇宙線や原子核に存在するもので、初めは單に理論的に演繹された。その研究方法は斬新にして、實驗的に原子核の構造を探求するに欠くべからざる知識をもたらすものであれば、その重要視さるゝはもちろんである。
土星原子模型
科學朝日記者は、予が四十五年前に發表した土星原子模型は、初めて原子に核が存在するを明瞭にしたものであるから、いくらか湯川君のメソン(中間子)との關係があるによつて、その概略を書いて呉れと、しつこく予に迫つた。やむを得ず筆を執ることになつた。讀者は、好んでこれを記するのでないことを御了解あらんことを希う。
ギリシャの哲學者が、物體はどんな力を用いても破壞すべからざる微小な粒子から成立していることを、ドグマチックに宣傳してから、その考索は一般に信ぜられ、化學が開發せらるゝと共に、化學原子もその類に屬するものと信用せられた。即ちドルトン(Dalton)が原子論を發展するには、固體球を模型として、十分、間に合せた。しかしその不變性に對しては何たる實驗的證明は無かつた。たゞその反應性が專ら研究の的となつて、何たる不都合はなかつたから、原子の構造などを考究するのは野暮であるとけなされた。
しかしスペクトル分析の開けてからは、その構造は各元素とも趣を異にしていなければならぬと論ぜられ、こゝに一段の進歩を促した。
その頃は物理現象を説明するに模型を考案することが流行した。またエーテルなる不可思議な萬能性を帶びたものが宇宙に充滿している假説も、一般に信用された。これは光を傳える媒質であつて、壓縮すべからざるものと考えられたが、だん/\調べて行くと、短縮すべき性質をも無ければならなくなり、都合次第で性質を變化せられたから、遂に迷宮に入つた心地がした。
振動を傳える模型として提唱されたものには、球形の器内に滑稽にもスピロヘータ…