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あの顔
あのかお
作品ID54461
著者大倉 燁子
文字遣い新字新仮名
底本 「大倉燁子探偵小説選」 論創社
2011(平成23)年4月30日
初出「ロック 三巻六号」1948(昭和23)年10月
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-12-10 / 2014-09-16
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 刑事弁護士の尾形博士は法廷から戻ると、久しぶりにゆっくりとした気分になって晩酌の膳にむかった。庭の新緑はいつか青葉になって、月は中空にかかっていた。
 うっすらと化粧をした夫人が静かに入って来て、葡萄酒の瓶をとりあげ、
「ずいぶん、お疲れになったでしょう?」と上眼使いに夫を見上げながら、ワイン・グラスになみなみと酒を注いだ。
「うむ。だが、――長い間の責任をすましたので、肩の荷を下したように楽々した」
「そうでしょう? 今日の弁論、とても素晴らしかったんですってね。私、傍聴したかった。霜山弁護士さんが先刻おいでになって、褒めていらしたわ、あんな熱のこもった弁論を聴くのは全く珍らしい事だ、あれじゃたとえ被告が死刑の判決を下されたって、満足して、尾形君に感謝を捧げながら冥土へ行くだろうって、仰しゃっていらしたわ」
「霜山君はお世辞がいいからなアハ……。しかし、少しでも被告の罪が軽くなってくれればねえ、僕はそればっかり祈っている」
「あなたに救われた被告は今日までに随分おおぜいあるんでしょうねえ。刑事弁護士なんて云うと恐い人のように世間では思うらしいけれど、ほんとは人を助ける仕事で、仏様のようなものなんですからね」
「その代り金にならないよ。だから、いつでもピイピイさ」と笑った。
「殺人犯だの、強盗だのなんかにはあんまりお金持ちはいないんですものねえ、でも、あなたは金銭にかえがたい喜びがあるから、と、いつも仰しゃいますが、減刑になったなんて聞くと私まで胸がすうっとしますわ。その人のために弁護なさるあなたの身になったらどんなに愉快だろうと思いますのよ」と云っているところに、玄関のベルが臆病らしくチリッと鳴った、まるで爪か、指先でもちょっと触れたように。
「おやッ」と夫人は口の中でつぶやいた。
 ふたりは何という事なしに眼を見合せたのだった。すると、こんどはややしっかりしたベルの音がした。
 夫人は小首を傾げて、
「普通のお客様のようじゃないわね、きっと何かまた」と、云いながら席を起って行ったが、間もなく引返して来ると、まるでおびえたような顔をして、
「何んだか、気味が悪いのよ。まるで幽霊のような女の人が、しょんぼりと立っていてね、薄暗い蔭の方へ顔を向けているので、年頃も何もまるで分らないけれど、みなりは迚も立派なの。正面に私の顔も見ないで、先生に折入ってお願いしたい事がありまして夜中伺いましたって、この御紹介状を差出したんですが、その手がまたぶるぶると震るえて、その声ったらまるで泣いているよう、――」
 博士はその紹介状を受取って、封をきり、眼を通していたが、
「不思議な人からの紹介だな」と云って、ぽいと夫人の手へ投げた。
「まあ、ミシェル神父様からの御紹介状ですのねえ、あなた、神父様御存じなの?」
「うむ。僕は若い頃熱心な天主教徒だったんだよ。いまは大なま…

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