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鉄の処女
てつのしょじょ
作品ID54466
著者大倉 燁子
文字遣い新字新仮名
底本 「大倉燁子探偵小説選」 論創社
2011(平成23)年4月30日
初出「踊る影絵」柳香書院、1935(昭和10)年2月
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-02-11 / 2014-09-16
長さの目安約 43 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 寒い日の午後だった。
 私は河風に吹かれながら吾妻橋を渡って、雷門の方へ向って急ぎ足に歩いていた。と、突然後からコートの背中を突つくものがあるので、吃驚して振り返って見ると、見知らない一人の青年が笑いながら立っていた。背の高い、細長い体に、厚ぼったい霜降りの外套を着て、後襟だけをツンと立てているが、うす紅色の球の大きなロイド眼鏡をかけている故か眼の下の頬がほんのりと赤味をさしている。彼は吸いかけの煙草をぽんと投げ捨てて、つと私の傍をすりぬけて、一間ばかり行ったかと思うと、何と思ったか、今度はくるりと踵を返して後戻りして来た。私はその顔を見てハッと思った。
「S夫人!」
 夫人の変装術に巧妙なのは知っているが、こうまで巧みに化け了せるとは思わなかった。しかし他人ならいざ知らず、助手が見破れなかったのは少々心細い、私は何だか気まりが悪くなった。
「どこのよたもんかと思いましたよ。私の後をつけたりなすって――」
 照れかくしにちょっと夫人を睨む真似をした。夫人は可笑しそうにくすくす笑いながら、
「ほんものの不良らしく見える? 実は今日はね、よたもんになりすましてある事件の調査に出かけたの、今その帰りなんですよ」
 私はつくづく夫人の姿を眺めて感心した。ほんとに巧いものだ。どう見直したって男だ。態度だって、表情だって、すっかり男になり切っている。女らしい影はどこを探したって見出せやしない。
 S夫人と私はどっちから誘うともなく仲店に入り、人込みにもまれながら肩を並べて歩いていた。
 観音様の横手の裏通りにはサーカスがかかっていた。その広告びらの前に夫人は立ち止って少時見ていたが、急に入ってみようと云い出した。事件の調査に来たと云うのにどうしたっていうんだろう。私がちょっと返事に躊躇しているのを見ると彼女は誘いかけるように云うのだった。
「面白そうじゃないの。南洋踊り、鉄の処女、ほら人喰人種もいますよ」
「鉄の処女って何の事でございますの?」
「昔死刑に用いられたものですよ。大きな箱のようなものの内側に剱の歯がいっぱい突き出ていて、囚人をその中に入れ、扉を閉めると同時に体中に剱が突き刺るという仕掛けなんですよ」
「面白そうでございますわね。じゃ入ってみましょうか」
「人間は誰だって残虐性をもってるのね――」
 夫人はちょっと皮肉そうに云って笑っていたが急に真面目な顔をして附加えた。
「実をいうとね、ある女を探しているんです。サーカスにいる花形なんですがね、しかしどこのサーカスにいるかは分らないんです。だから貴女の気がすすまないなら私一人でも入ってみるわ」
 二人は早速入場券を買った。
 舞台では南洋踊りというのがもう始まっていた。獰猛な顔付をした逞しい男が五六人、真赤に染めた厚い唇を翻えして訳のわからない歌を怒鳴りながら、輪をつくって踊っている、その真中に酋長…

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