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信濃の山女魚の魅力
しなののやまめのみりょく
作品ID54492
著者葉山 嘉樹
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆4 釣」 作品社
1982(昭和57)年10月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2016-06-13 / 2016-04-18
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私が今住っている処は、東に南アルプス山系の仙丈ヶ岳や、白根山系の山々、など、殆んど年中雪を頂いている、一万尺内外の高山の屏風を遠望し、西には、僅か数里の距離を置いて、西駒山脈、詰り中央アルプスが亙っている。
 その間を、諏訪湖に、源を発した天竜河が、うねりくねって流れている。この河からは鯉、鮎、鰻、赤魚、山女魚、等々が釣れる。
 私は午前中は読書執筆に費し、午後はその天竜河や、その支流に山女魚釣りに出かけるのだが、この山女魚は、全く意想外の処に住んでいて、釣った人間を驚かせる。
 私の釣りは、運動であり、同時に頭の休養なのだから、余り人間と出会わないような、谿流を選んで溯上する。
 なるべくならば釣れた方が面白い。が、見物人の沢山いる前では、いくら釣れたって、頭が休まらない。人が見てる前では、釣れても釣れなくても、気を費う。
 だから、私は釣堀などで魚を釣ろうとは思わない。そんな風だから、突拍子もない小溝、幅一尺あるかなしの小溝に釣針を流しながら、無心に歩いて行ったりする。
 天竜河にしろ、それに流入する支流小溝などみな急流である。
 その一尺幅の急流に針を流しながら、ついて行くと、今まで勢よく下って行っていたテグスが上流に向って上ることがある。変だな、と思って引っ張り上げると、ひどい手応えがある。テグスを切られないように、心臓がドキドキするのを辛抱して、引き上げると、一尺もある山女魚がひっかかっていることがある。
「ははあ、野郎、下流から上って来るところに、餌が流れて来たもんだから、銜えて上ったんだな」
 と云うことを私は感得した。
 一度は、やはり二尺幅位の小溝で、六寸位の山女魚が、上流を向いて、じっとしているのを見付けた。
 上から、私は蚯蚓を流して、一寸横の方を流してやった。が、振り向きもしない。
 そこで、今度はかっきり、奴の鼻の先きを目がけて流してやったが、何と、その山女魚奴! キジ蚯蚓が怖ろしいのか、除けてしまった。その除ける時、皮肉な奴だ、私の顔を、じっと見上げるのである。
「駄目だよ。釣針が出てるじゃないか」
 と、私の顔を見上げて云ってるように、私は思った。
 私が、ハッキリ山女魚の姿を見ているのだから、山女魚だって、私を見てるには違いない。そうすれば、この細長い二本の鰭でもって、地上を立って歩く魚は、きっと、自分の顎に釣針を引っかけて引っ張り上げる例の奴に違いないと云うことを、その小さな山女魚奴、ちゃんと呑込んでいるのだ。
 釣針が流れ去ると、又、元の処へ戻って、じっとしているのだ。
 私は溜息が出て来た。
「ようし、それじゃ手前と智慧較べだ」
 と、私は針の餌を、新らしいのと取り替え、釣針の先きを隠した。
 そして身を樹の幹に隠すようにして、少し今までよりも上流から徐々に流した。奴の視野内にポンと放り込んだのでは、不自然である。奴の…

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