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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54569
副題285 隠れん坊
285 かくれんぼう
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二卷 白梅の精」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年4月5日
初出「小説新潮別冊」1952(昭和27)年6月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-01-10 / 2015-12-30
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「もう宜いかい」
「まアだゞよ」
 子供達はまた、隱れん坊に夢中でした。此邊は古い江戸の地圖にも、『植木屋と百姓家多し』と書いてある位で、お天氣さへ良ければ、子供達は家の中で遊ぶといふことは無いのですが、雨が降ると、室内遊戲の方法も興味も持たない子供達は、一日に一度は屹度『隱れん坊』を始めるのです。
 それは限りなく安らかな晝下がりでした。櫻が散つて、菜の花が黄金色に燃えて、四月の生温い雨は、すべての人を心からしつとりさせます。駒込淺嘉町の大地主幸右衞門の家は、その廣さと裕福さのせゐで、いつものやうに森閑として、隱れん坊遊びの歌だけが、哀調を帶びて、屋敷中何處までも聽えるのでした。
「おや、信ちやんは此處に居たのか」
 納屋から出て來た叔父の與三郎は、何やら合點の行かぬ樣子で眉をひそめます。四十五六の、青白く痩せた中年者で、若白髮が小鬢に見えるのは、早く女房に死に別れて、苦勞をしたせゐかも知れません。
「松ちやんが隱れて居るのよ、何處に居るかわからないんだもの」
 主人幸右衞門の娘で、今年十歳になるお信は隱れん坊のことなんか忘れてしまつたやうに、納屋の前の、母屋に續いた粗末な渡り廊下に立つて、隣の子の常吉と、雨垂の落ちるのを、面白さうに眺めて居ります。
「それは呑氣だな、家の中から聲が聞えたやうだが、押入ぢやないか」
「さうかも知れないワ」
 お信はさう言つて、廊下から家の中に飛上がると、與三郎と常吉もそれに續きました。
「それぢや早く見てやれ」
 さう言へば、哀調を帶びた、『まアだゞよう』と言つて居た女の子の聲が、先刻から聞えなくなつて居るやうです。
「此處よきつと」
 一と足先に入つたお信は、その次の部屋、納戸代りに使つてゐる八疊の、押入の唐紙をサツと開けました。
「あツ」
 お信が立ち竦んだのも無理はありません。押入の下の段に入れてあつた大一番の葛籠は蓋をしたまゝ、上から拔刀がズブリと突つ立つて、葛籠から漏れた血が、押入の床板を赤黒く染めて居るのです。
「――」
 叔父の與三郎は、物も言はずに、お信をかき退けると、拔刀を葛籠から引き拔いて、二三度手を滑らせ乍ら、あわて氣味に蓋をあけました。中から現れたのは、胸を刺されて最早息の根も絶えた女の子、それは、與三郎自身の一人娘、九つになるお松だつたのです。
「お松」
 與三郎は死骸を抱き上げました。春雨に濡れた着物は、更に娘の血潮に汚れますが、與三郎はもうそんな事など、考へてゐる遑も無かつたやうです。
「どうした、どうした」
「何んかありましたか」
 廣い家でも、この騷ぎは聽えない筈もありません。
 多勢の者が、廣い家の方から集まるやうに、ドカ/\と入つて來ました。その中には主人の幸右衞門や、内儀のお淺や、お淺の妹のお雪を始め、下男の伊太郎、隣の伜金之助なども交つて居りました。
 雨に閉された、閑寂な春…

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