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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 54573 |
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副題 | 262 綾の鼓 262 あやのつづみ |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「錢形平次捕物全集第二卷 白梅の精」 同光社磯部書房 1953(昭和28)年4月5日 |
初出 | 「講談倶樂部」1951(昭和26)年2月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2015-10-18 / 2015-09-14 |
長さの目安 | 約 29 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「親分の前だが、女日照の國には、いろんな怪物がゐるんですね」
八五郎がまた、親分の平次のところへ、世上の噂を持込んで來ました。江戸八百八町にバラ撒かれてゐる下つ引や手先から集まつた資料が、八五郎の口から、少しばかり誇張されたり潤色されたり、面白可笑しく編輯されて、平次の耳へ傳わつて來るのです。
「女旱魃の國てえのは何處だえ、――まさか傳馬町の大牢ぢやあるめえな」
平次は相手欲しさうでした。外は空つ風、暦の上は春でも梅の花までがかじかみさうな、薄曇の寒い日です。
神田明神下の平次の家も、この二三日は御用が暇な上懷中までが霜枯れで、外へ出て見る張合もありません。煙草の五匁玉をあらかた吸ひ盡くして、出がらしの茶ばかり呑んでゐるところへ、八五郎のガラツ八が、秩父颪と一緒に飛込んで來て、女護が島の住人見たいな、高慢なことを言ふのです。
「そんなイヤなところぢやありませんよ、場所は大川端町、あの邊では顏のきいた、名取屋三七郎といふのを親分御存じでせう」
「大層な男だといふが、金儲けはうまい相だな」
「その名取屋三七郎は、名古屋山三ほどの良い男の氣でゐるから大したもので」
「自惚れは罪がなくて宜いよ」
「ところでその内儀さんのお縫も惡くねえ女だが、妾のお鮒と來た日にや、品川沖まで魚が取れなくなるといふきりやうだ」
「妙な譬へだな」
「あんまり綺麗だから、お天氣の良い日はピカ/\して、その照り返しで大川の魚は皆んな逃げる」
「馬鹿なことを言え」
「魚が逃げる位だから、人間の男だつて、利口なのは寄り付かない。名取屋三七郎の[#「名取屋三七郎の」は底本では「名取屋三五郎の」]家の兩隣には、三軒長屋が二た棟あるが、不思議なことに皆んな男世帶だ、――三七郎の妾のお鮒が綺麗なんで、女といふ女は住みつかないんだ相ですよ」
「お前の話は相變らず馬鹿々々しいな」
「まア、聽いて下さいよ、話はこれから面白くなるんで」
「フーム」
「三軒長屋が二つ、その一つは北の方にあつて、按摩の年寄夫婦が一と組と、浪人波多野虎記と、小博奕を渡世にしてゐる、勇吉といふ若いのが住んでゐる、按摩の女房の婆さんなんか女のうちに入らない」
「――」
「南隣の三軒長屋には、馬鹿の猪之助と、漁師の申松が住んで居て、中の一軒は空家だ、その空家にはお化けが出るといふ噂があつて、この一年借り手が無い、――昔々、一人者の婆さんが、臍繰を五貫六百ばかり殘して死んだ相だから、多分それに思ひが殘つてゐるだらうといふことで――」
「恐ろしくケチなお化けだな」
「ところで、この三軒長屋二た棟に住んでゐる、六人の住人のうち、按摩夫婦の二人の外は、皆んな名取屋三七郎の妾のお鮒に夢中なんだから面白いぢやありませんか」
「そんな話は、ちつとも面白くは無いよ、馬鹿々々しい」
「錢形の親分に面白がらせようなんて、そんな娑婆つ氣はありません…