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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 54574 |
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副題 | 259 軍学者の妾 259 ぐんがくしゃのめかけ |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「錢形平次捕物全集第二卷 白梅の精」 同光社磯部書房 1953(昭和28)年4月5日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋新社、1951(昭和26)年11月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2015-10-05 / 2017-03-04 |
長さの目安 | 約 32 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「ところで親分はどう思ひます」
「ところで――と來たね、一體何をどう思はせようてんだ。藪から棒に、そんな事を言つたつて、わかりやしないぢやないか」
錢形平次と子分の八五郎は、秋日和の縁側に甲羅を並べて、一刻近くも無駄話を應酬して居たのです。
「先刻言つたぢやありませんか、子曰くの先生のお妾――」
「あ、お玉ヶ池の春名秋岳先生か、あれは儒者といふよりは兵學者の方だよ。近頃素晴らしいお妾を置いたといふ話なら、お前の口からだけでも、もう三度も聽いたよ」
平次は氣の無い顏をして、秋の庭先にユラユラと消えて行く、煙草の烟の輪を眺めて居ります。
まことに天下太平の晝下がりです。丹精した朝顏がお仕舞になつて、貧乏臭い鉢植の楓林仕立が色づくと、平次の庭も何んとなく秋さびます。
「そのお妾のお照が、ズブの素人の癖に、色つぽくて、愛嬌があつて、斯う話して居ると、クワツと燃え立つやうで、男の切れつ端なら誰でも掻き立てられるやうな心持になりますよ」
「それが何うしたんだ」
「嫌になるなア。親分と女の子の話をするほど氣の乘らないことはありませんね」
「性分だよ、勘辨しねえ」
「へツ、お靜姐さんが、若くて綺麗なせゐぢやありませんか。世間では專らそんな事を言つて居ます」
「何が專らだえ、馬鹿々々しい」
「相濟みません、――ところで話は元へ戻つて、秋岳先生の愛妾お照の方、年は二十四で、聊か傳法で、搗き立ての羽二重餅のやうにポチヤポチヤしたのが――」
「――」
平次は默つてしまひました。八五郎が何を言はうとして居るのか、見當もつきませんが、何んかしら、仔細あり氣なプロローグです。
「今まで隣町に一戸を構へさせ、月の六齋に、少々胡麻鹽になつた顎髯をしごき乍ら、唐天竺の都々逸なんかそゝつて通つた秋岳先生が、妾宅通ひも年のせゐで段々人目に立つやうになつたし、二つ世帶を賄なつては、諸掛りも大變だといふので、御本妻の里江さんも承服の上、お玉ヶ池の塾に引取つて、同じ屋根の下に住むことになりましたが――」
「それでどうしたといふのだ」
「考へて見て下さいよ、親分、秋岳先生は五十五、學問はあるかも知れないが、ノツポで皺だらけで、暮の鹽鮭のやうに不景氣な爺さんだし、塾生とかいふ内弟子が三人、十八から二十五まで、血の氣の多いのが同じ釜の飯を食つて居るんですぜ」
「それ丈けのことか」
「塾生の伊場健之助は十八、ニキビだらけで背高童子で、さる大藩のお留守居の子、田舍の豪士の伜の狩屋三郎といふのは二十二で、ちよいと良い男で子曰くの素讀よりは、小唄を轉がす方が上手だ。一番年上は尾崎友次郎と言つて二十五、御家人の子で貧乏臭くて、學問が好きで劍術が嫌ひ、現に無理を言つて、春名塾へ入つて居るといふ變り者だ。――これ丈け苦い男が揃つて居るところへ、若いお妾が入つて來たのは、唯事ぢや無いぢやありませんか」
「そんな…