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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54582
副題272 飛ぶ若衆
272 とぶわかしゅう
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第三卷 五月人形」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年4月20日
初出「オール讀物」文藝春秋新社、1952(昭和27)年1月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2015-11-14 / 2017-03-04
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「姐さん、谷中にお化けが出るんだが、こいつは初耳でせう」
 松が取れたばかり、世界はまだ屠蘇臭いのに、空つ風に吹き寄せられたやうな恰好で、八五郎は庭木戸へ顎を載せるのでした。
「ま、八さん、お早やうございます」
 お靜はそれでも、襷を外して、縁側の上から、尋常に挨拶するのでした。朝の仕事が濟んで掃除して居るところ、淡い陽射しが足もとを這ひ上つて寒々とした風情の中に、僅かに赤いものを着けたお靜のたゝずまひが、何んとなく四方の空氣を和めます。
「八か、脅かすなよ、お化けや借金取は親類附き合ひをして居るから驚かねえが、お靜が膽をつぶして障子を開けたまゝだから、縁側の埃は皆んな部屋の中へ逆戻りだ」
 平次は長火鉢を抱へ込むやうに、無精煙草の煙を吹いて居ります。
「脅かすわけぢやありませんが、女はどうして斯うもお化けが嫌ひなんでせう、お、寒ぶ」
 八五郎はその障子の隙間から、禰造を拵へたまんま、長火鉢の側ににじり上がりました。
「朝つぱらから、そんな話を持込むからだよ。第一縁側から入つて來るのは、猫の子とお前ばかりぢやないか。たまには表へ廻つて、案内を頼む心掛けになつて見ろ」
「へツ、此方の方がいくらか近いやうで」
「呆れた野郎だ」
「ね、親分、あつしの叔母さんだつて、矢張り女の子でせう」
「當り前だ」
「その叔母が、谷中へ泊り込みでお仕事に行つて、この話を聽き込んで、膽をつぶして歸つて來たんですが、惜しいことをしましたよ。お化けと取つ組む氣で、もう少し聽き込んで來ると、こいつは良いネタになり相ですが」
「俺にお化け退治をさせようといふのか。そんな話なら御免蒙るぜ八」
「でも人助けになるぢやありませんか。大きく言へば、それ笹野の旦那がよく言ふ天下靜謐のため」
「大きく出やがつたな」
「だから、ちよいと、冗談に覗いて見ませんか。何しろ相手は谷中三崎町で、大地主の娘、谷中小町と言はれた――」
「嫌だよ。大地主と小町娘ぢや、筋書が揃ひ過ぎるぢやないか。その上化物退治と來ると、そつくり岩見重太郎の世界だ」
「それは何處の岡つ引きで?」
「いよ/\以つてお前は長生きをするぜ」
「へツ、どなたも、さう仰しやいます。ところで煙草を一服」
「あれ、煙管の催促をして居るのか」
 話は斯んな調子で始まりました。八五郎の持つて來た、谷中のお化けの話、平次は一向氣の乘らないやうな顏をし乍ら、それでも合の手澤山に、熱心に聽いて居ります。
「叔母が頼まれて行つたのは、谷中三崎町の細田屋善兵衞の家で、二月になると、一人娘のお蘭さんに養子婿が來ることになつて居るので、金に飽かしての花嫁衣裳だ」
「――」
 平次は默つてしまひました。八五郎の話はどうやらレールに乘つた樣子です。
「暫らくは泊り込みの約束で、向柳原は鼠に引き殘されたやうに、あつしがたつた一人、淋しいのは構はねえが、三度のものゝ用意…

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