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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 54588 |
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副題 | 282 密室 282 みっしつ |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「錢形平次捕物全集第四卷 からくり屋敷」 同光社磯部書房 1953(昭和28)年5月10日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋新社、1952(昭和27)年11月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2015-12-24 / 2017-03-04 |
長さの目安 | 約 32 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「妙なことを頼まれましたよ、親分」
ガラツ八の八五郎、明神下の平次の家へ、手で格子戸を開けて――これは滅多にないことで、大概は足で開けるのですが――ニヤリニヤリと入つて來ました。
十月の素袷、平手で水つ洟を撫で上げ乍ら、突つかけ草履、前鼻緒がゆるんで、左の親指が少し蝮にはなつて居るものゝ、十手を後ろ腰に、刷毛先が乾の方を向いて、兎にも角にも、馬鹿な威勢です。
「顎の紐を少し締めろよ、馬鹿々々しい」
口小言をいひ乍らも、平次は座布團を引寄せて、八五郎のために座を作つてやるのでした。
「でも、若い娘に忍んで來てくれと頼まれたのは、あつしも生れて始めてゞ」
八五郎は斯う言つて、顎を撫でたり、襟を掻き合せたりするのです。
「願つたり叶つたりぢやないか、相手は誰だ」
「親分も知つてゐなさるでせう。相手は本郷二丁目の平松屋源左衞門の義理の娘ですが、先づその親父のことから話さなきやわかりません」
「知つてゐるとも。昔は武家だつた相だな、松平といふ祖先の姓を名乘つては、相濟まないといふので、松平を引つくり返して平松屋は、義理堅いやうなふざけた話だ」
「その平松屋源左衞門といふのは、本郷一番の金貸で、五年前に亡くなつた、松前屋三郎兵衞の跡だといふことも、御存じでせうね」
「そんな事も聽いたやうだな」
「松前屋三郎兵衞は、松前樣のお金を融通して、一代に萬といふ金を拵へたが、主人三郎兵衞は女房のお駒と、小さい娘のお君を遺して五年前に病死――それにも變な噂がありますが、兎も角も、用心棒に置いた居候の浪人、松平源左衞門といふのが、ズルズルべつたり、祝言無しで後家のお駒と一緒になり、平松屋と暖簾を染め直して、金貸稼業を續けたが、不思議なことに、先代の松前屋三郎兵衞が溜めて置いた筈の、一萬兩近い金が、何處に隱してあるかわからない」
「フーム」
「一萬兩の金の見付からない自棄もあつたでせう、平松屋源左衞門は三年前から女道樂を始め年上の女房お駒が嫌になつて、茶汲あがりのお萬といふのを引入れ、女房のお駒と、先代松前屋の娘お君を邪魔にし、離屋へ別に住まはせることにした」
「薄情な野郎だな」
「一萬兩の金が目當ての入婿だから、金が無いとわかると、年上の女は邪魔にもなるでせうよ。ところが、女房のお駒はきかん氣の女で――少しは氣も變になつたでせうが、――私は此家の心棒だから、梃でも動かないと言ひ出し、離屋の窓々に頑丈な格子を打ち付け、四方の戸に錠をおろして、鍵は自分の手に持つたのが一つだけ、娘のお君の外には、誰も離屋に寄せつけ無い。後添の主人源左衞門は、元は武家で腕に覺えがあるから、私を殺しに來るに違ひない――といふのだ相で」
「成る程、そんな事もあるだらうな」
「三度の食事も娘が運んで、下女のお鐵でさへも、滅多に離屋へは寄せつけないといふから大變でせう」
「で、その娘がお前を口説かうと…