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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54595
副題060 蝉丸の香爐
060 せみまるのこうろ
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第五卷 蝉丸の香爐」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年6月20日再版
初出「オール讀物」文藝春秋社、1937(昭和12)年2月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2015-06-13 / 2015-03-15
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「親分、松が除れたばかりのところへ、こんな話を持込んぢや氣の毒だが、玉屋に取つては、此上もない大難、――聽いてやつちや下さるまいか」
 町人乍ら諸大名の御用達を勤め、苗字帶刀まで許されてゐる玉屋金兵衞は、五十がらみの分別顏を心持翳らせて斯う切出しました。
「御用聞には盆も正月もありやしません。その大難といふは一體何で?」
 錢形の平次は膝を進めます。往來にはまだ追羽子の音も、凧の唸りも聞える正月十三日、よく晴れた日の朝のうちのことです。
「外ぢやない、さる大々名から、新年の大香合せに使ふ爲に拜借した蝉丸の香爐、至つて小さいものだが、これが稀代の名器で、翡翠のやうな美しい青磁だ。それが、昨夜私の家の奧座敷から紛失した。――たつた香爐一つと言つてしまへばそれまでだが、一國一城にも代へ難いと言はれた天下の名器で、公儀へ御書き上げの品でもあり、紛失とわかれば、内々で御貸下げ下すつた、御隱居樣の御迷惑は一と通りでない。私は先づ腹でも切らなければ濟まぬところだ」
「――」
 平次は默つて聽いて居りますが、玉屋金兵衞の困惑は容易のものでないのはよく解ります。
「親分は、お上の御用を勤める身體だ。香爐の紛失は言はゞ私事、こんな事を頼んではすまないが、これは金づくでも力づくでも叶はない。愈々香爐が出て來ないとなると、私の命一つは兎も角として、さる大々名のお家の瑕瑾ともなるかも解らない。折入つての願ひだが、何とか一と骨折つては下さるまいか」
 玉屋金兵衞は、疊に手を突かぬばかりに頼み入ります。大町人らしい風格のうちに、茶や香道で訓練された、一種の奧床しさがあつて、斯うまで言はれると、平次もむげには斷り切れません。
「宜しうございます。それ程の品が無くなるのは、容易ならぬわけのあることでせう。出るか出ないかは兎も角として、一つ當つて見るとしませう」
「有難い、親分」
「ところで、無くなつたのは何時のことでございます」
「昨夜の宵のうち、――詳しく言へば、戌刻頃までは確かにあつたが、今朝見ると無くなつて居る」
「怪しいと思つた者はありませんか」
「外からは容易に入れる筈は無いから、家の中の者だらうと思ふが、困つたことに、その部屋は一方口で、手前の部屋に居たのは、私の娘お幾の踊友達、親類のやうに附き合つてゐる、お糸といふ十九になつたばかりの娘だけなんだが――」
 玉屋金兵衞の調子は、その娘に疑をかけ度くない樣子でした。
「兎に角、お店へ行つて、皆に引き合せて貰ひませう。その上間取りの具合でも見たら、また何か氣が付くかも知れません」
「それぢや親分、何分宜しく頼みますよ」
 少し言ひ足らぬ顏ですが、さすがに大店の主人らしく、言葉少なに引揚げて行きます。
 その後ろ姿を見送つて、
「親分、大變なことになつたネ」
 ガラツ八の八五郎は乘出します。
「何が大變なんだ、――大名高家では、…

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