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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54610
副題063 花見の仇討
063 はなみのあだうち
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第六卷 兵庫の眼玉」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年6月10日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1937(昭和12)年5月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2015-06-25 / 2015-05-06
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「親分」
 ガラツ八の八五郎は息せき切つて居りました。續く――大變――といふ言葉も、容易には唇に上りません。
「何だ、八」
 飛鳥山の花見歸り、谷中へ拔けようとする道で、錢形平次は後から呼止められたのです。飛鳥山の花見の行樂に、埃と酒にすつかり醉つて、これから夕陽を浴びて家路を急がうといふ時、跡片付けで少し後れたガラツ八が、毛氈を肩に引つ擔いだまゝ、泳ぐやうに飛んで來たのでした。
「親分、――引つ返して下さい。山で敵討がありましたよ」
「何?」
「巡禮姿の若い男が、虚無僧に斬られて、山は[#挿絵]えくり返るやうな騷ぎで」
「よし、行つて見よう」
 平次は少しばかりの荷物を町内の人達に預けると、獲物を見付けた獵犬のやうに、飛鳥山へ取つて返します。
 柔かな夕風につれて、何處からともなく飛んで來る櫻の花片、北の空は紫にたそがれて、妙に感傷をそゝる夕です。
 二人が山へ引つ返した時は、全く文字通りの大混亂でした。異常な沈默の裡に、掛り合ひを恐れて逃げ散るもの、好奇心に引ずられて現場を覗くもの、右往左往する人波が、不氣味な動きを、際限もなく續けて居るのです。
「退いた/\」
 ガラツ八の聲につれて、人波はサツと割れました。その中には早くも驅け付けた見廻り同心が、配下の手先に指圖をして、斬られた巡禮の死骸を調べて居ります。
「お、平次ぢやないか。丁度宜い、手傳つてくれ」
「樫谷樣、――敵討ださうぢやございませんか」
 平次は同心樫谷三七郎の側に差寄つて、踏み荒した櫻の根方に、紅に染んで崩折れた巡禮姿を見やりました。
「それが不思議なんだ、――敵討と言つたところで、花見茶番の敵討だ。竹光を拔き合せたところへ、筋書通り留め女が入つて、用意の酒肴を開かうと言ふ手順だつたといふが、敵の虚無僧になつた男が、巡禮の方を眞刀で斬り殺してしまつたのだよ」
「へエ――」
 平次は同心の説明を聽き乍らも、巡禮の死體を丁寧に調べて見ました。笠ははね飛ばされて、月代の青い地頭が出て居りますが、白粉を塗つて、引眉毛、眼張りまで入れ、手甲、脚絆から、笈摺まで、芝居の巡禮をそのまゝ、此上もない念入りの扮裝です。
 右手に持つたのは、銀紙貼りの竹光、それは斜つかひに切られて、肩先に薄傷を負はされた上、左の胸のあたりを、したゝかに刺され、蘇芳を浴びたやうになつて、こと切れて居るのでした。
「身元は? 旦那」
 平次は樫谷三七郎を見上げました。
「直ぐ解つたよ、馬道の絲屋、出雲屋の若主人宗次郎だ」
「へエ――」
「茶番の仲間が、宗次郎が斬られると直ぐ驅け付けた。これがさうだ」
 樫谷三七郎が顎で指すと、少し離れて、虚無僧が一人、留め女が一人、薄寒さうに立つて居るのでした。
 そのうちの虚無僧は、巡禮姿の宗次郎を斬つた疑ひを被つたのでせう。特に一人の手先が引き添つて、スワと言はゞ、繩も打ち兼ねまじき…

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