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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54617
副題056 地獄から来た男
056 じごくからきたおとこ
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第八卷 地獄から來た男」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年7月10日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1936(昭和11)年10月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-03-09 / 2014-09-16
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「親分、変な野郎が來ましたぜ」
 ガラツ八の八五郎は、モモンガア見たいな顏をして見せました。秋の日の晝下がり、平次は若い癖に御用の隙の閑寂な半日を樂しんで居る折柄でした。
「変な野郎てえ物の言ひやうがあるかい。お客樣に違ひあるまい」
「さう言へばその通りですが、全く変ですぜ、親分」
「手前よりも変か」
「へツ」
 ガラツ八は見事に敗北しました。
「何んて方なんだ。取次なら取次らしく、口上を聞いて來い」
「それが言はないから変ぢやありませんか。名前は申上げられませんが、私の爲に一生の大事、どうぞ親分さんの智慧を貸して下さい――と斯うなんで」
「男だらうな」
 平次は妙な事を訊きました。
「大丈夫『猫の子の敵』ぢやありません。へツへツ」
 ガラツ八が思ひ出し笑ひをしたのも無理のないことでした。二三日前町内の女隱居が『寵愛の猫の子が殺されたから、下手人を搜して敵を討つて下さい』と氣違ひのやうになつて飛込んだのを知つて居たのです。
 八五郎の案内につれて、狭い家の中に通されたのは、町人風の若い男が二人。
「――」
 先に立つた一人の顏を見ただけで、平次は危ふく聲を立てるところでした。ガラツ八の八五郎が、変な野郎と言つたのも道理、顏といふのは形ばかり、顎は歪み、鼻は曲り、額から月代かけて凄まじい縱傷がある上、無慙、左の片眼までも潰れて居るのです。
 後ろから跟いて來たのは同じ年輩――と言つても、無傷なだけに、此方の方は少し老けて居るのかもわかりません。三十五六の世馴れた男。頬から耳へかけて、小さいが眞赤な痣のあるのが唯一の特色です。
「親分さん、飛んだお邪魔をいたします」
「御所名前を仰しやらない方には、お目に掛らない――と申すほどの見識のあるあつしぢや御座いませんが――」
 平次はまだ釋然としません。
「親分、お腹立は御尤もですが、名前を申上げられないわけが御座います。――何を隱しませう、私は、地獄から參つたもので御座います――が」
 擧げたのは傷だらけな凄じい顏。
「えツ」
 平次も思はずゾツとしました。ガラツ八などはもう、膝小僧を包んで、敷居際まで逃げ出して居ります。
「斯う申すと突飛に聽えますが、決して嘘や掛引で申すのでは御座いません。私は一年前に人手に掛つて殺され、――いや、身内の者も世間樣も、私が死んだと思ひ込んで居りますが、實は思ひも寄らぬ人に助けられて生き還り、自分を殺した奴に思ひ知らせ度さに、変り果てた顏容を幸ひ、幽靈のやうに、江戸へ舞ひ戻つた人間で御座います」
 傷の男は膝の手を滑らせました。何處ともなく睨む片眼の不氣味さ。本當に、地獄の底から、その怨を果すだけに生き還つて來た、幽鬼の姿と言つても平次は疑はなかつたでせう。
「お前さんは?」
 平次は顧みて伴の男に訊きました。
「私はこの方と無二の仲で、その場に居合せなかつた、たつた一人の人間…

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