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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54618
副題059 酒屋火事
059 さかやかじ
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第八卷 地獄から來た男」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年7月10日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1937(昭和12)年1月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-03-12 / 2014-09-16
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「親分。お早うございます」
「火事場の歸りかえ。八」
「へエ――」
「竈の中から飛出したやうだぜ」
 錢形平次――江戸開府以來と言はれた捕物の名人――と、子分の逸足、ガラツ八で通る八五郎が、鎌倉河岸でハタと顏を合せました。まだ卯刻半過ぎ、火事場歸りの人足が漸く疎らになつて、石垣の上は、白々と朝霜が殘つて居る頃です。
「ところで何處へ行きなさるんで? 親分」
「三村屋も放け火だつてえぢやないか」
「へエ。それで實は、親分をお迎へに行くところでしたよ」
「酒屋ばかり選つて、立て續けに三軒も燒くのは穩やかぢやないネ」
「何處の餡コロ餅屋だか知らないが、野暮な火惡戯をしたもので――」
「馬鹿だな。そんな事を言ふと、餅屋に毆られるぜ」
「へエ――」
 ガラツ八は埃りと煙で汚れた、長い顎をしやくつて見せました。
 今年になつてから、ほんの半月ばかりの間に、神田中だけでも三ヶ所の放け火があつた――最初の一つは、正月八日の夜半過ぎ、濱町の大黒屋で、これは夜廻りが見つけてボヤですましたが、二度目のは、中四日置いて正月の十三日、外神田松永町の小熊屋で、これは、着のみ着のままで飛出した程の丸燒け、三度目は正月十八日、――正確に言へば十九日の曉方、鎌倉町の三村屋が丸燒け、その上小僧が一人燒け死んで、女房のお久は、二階から飛降りて大怪我をしてしまひました。
「三軒揃つて酒屋は變ぢやありませんか。その上三軒共薪と炭を商ひ、三軒共夜中過ぎの放け火だ」
「フム」
「それから、三の日と八の日を選つたのもをかしいぢやありませんか。御縁日か稽古日ぢやあるまいし」
「面白いな、八。他に氣のついたことはないか」
「そんな事をするのは、酒嫌ひな奴でせう、どうせ」
「ハツハツハツ。お前の智慧はそんなところへ落着くだらうと思つたよ――兎に角行つて見よう。笑ひごとぢやない。――お前も來るか」
「へエ――」
 ガラツ八は疲れも忘れた樣子で、忠實な犬のやうに從ひました。
 三村屋の燒け跡は、見る眼も慘憺たる有樣でした。まだ板圍ひも出來ず、灰も掻かず、ブスブス燻る中に、町内の手傳ひと、火事見舞と、燒け跡を濕してゐる鳶の者とがごつた返して居ります。
「親分、亭主の安右衞門が來ましたよ」
 ガラツ八が袖を引かなかつたら、平次もうつかり見遁したことでせう。汗と埃りと、煤と泥と、その上血と涙とに汚れた安右衞門の顏は、まことに、日頃の寛濶な旦那振りなどは、藥にしたくも殘つては居なかつたのです。
「三村屋さん、災難だつたね」
「お、親分さん――御覽の通り、私も三十年の働きが無駄になりました。明日からは乞食にでもなる外はありません」
「まア、そんなに力を落したものぢやない。町内でも、親類方でも、まさか捨てゝ置く筈もないから」
「有難う御座います。が親分さん、これが仲間や他人なら、痩我慢も申しますが、親分の前で、體裁の良い…

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