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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54619
副題030 くるひ咲
030 くるいざき
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第八卷 地獄から來た男」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年7月10日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1934(昭和9)年7月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-03-21 / 2016-03-22
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 相變らず捕物の名人の錢形平次が大縮尻をやつて笹野新三郎に褒められた話。
 その發端は世にも恐ろしい『疊屋殺し』でした。
「た、大變ツ」
 麹町四丁目、疊屋彌助のところに居る職人の勝藏が、裏口から調子つ外れな聲を出します。
「何だ、又調練場から小蛇でも這出して來たのかい」
 と、その頃は贅の一つにされた、猿屋の房楊枝を横くはへにして、彌助の息子の駒次郎が、縁側へ顏を出しました。
「それどころぢやねえ」
「町内中の騷ぎになるから、少し靜かにしてくれ。麹町へ巨蠎なんか出つこはねえ」
「今度のは巨蠎ぢやねえ、丈吉の野郎が井戸で死んで居るんだ」
「何だと」
 駒次郎は、跣足で飛降りました。其處から木戸を押すと直ぐ釣瓶井戸で、その二間ばかり向うは、隣の屋敷と隔てた長い黒板塀になつて居ります。
 丈吉の死體は、井戸端にくみ上げた釣瓶に手を掛けて、其儘崩折れたなりに冷たくなつて居たのでした。
 抱き起して見ると、右の眼へ深々と突立つたのは、商賣物の磨き拔いた疊針。
「あツ」
 駒次郎も驚いて手を離しました。
「ね、兄哥、丈吉の野郎が、何だつて疊針を眼に突つ立てたんでせう」
「そんな事は解るものか。親父へさう言つてくれ」
「親方はまだ寢て居ますぜ」
「そんな事に遠慮をする奴があるものか」
 勝藏が主人の彌助を起して來ると、井戸端の騷ぎは際限もなく大きくなつて行きます。
 變死の屆出があると、町役人が立會の上、四谷の御用聞で朱房の源吉といふ顏の良いのが、一應見に來ましたが、裏木戸やお勝手口の締りは嚴重な上、塀の上を越した跡もないので、外から曲者が入つた樣子は絶對にないと言ふ見込みでした。
 それに、丈吉はなか/\の道樂者で諸方に不義理の借金もあり、年中馬鹿々々しい女出入で惱まされて居たので、十人が十人、自害を疑ふ者はありません。
「持ち合せた疊針で眼を突いて、井戸へ飛込む積りだつたんだね。ところが此處まで來ると力が脱けて井戸へ飛込む勢ひもなくなつた――」
 朱房の源吉は獨り言を言ひ乍ら、尤もらしく其邊を見廻したりしました。
「親分の前だが、こいつは自害ぢやありませんぜ」
 不意に横合から、變な口を利く奴があります。
「何だと?」
 振り返ると其處に立つて居るのは、錢形の平次の子分で、お馴染のガラツ八、長い顏を一倍長くして、源吉の後ろから、肩へ首を載つけるやうに覗いて居るのでした。
「ね、朱房の親分、井戸へ飛込んで死ぬ氣なら、何も痛い思ひをして、眼なんか突かなくたつて宜いでせう」
「何?」
「それに、商賣柄、繩にも庖丁にも不自由があるわけはねえ」
 八五郎は少し調子に乘りました。さすがに死體には手は着けませんが、遠方から唇を尖らせ、平次仕込の頭の良いところをチヨツピリ聽かせます。
「手前は何だ」
「へエ――」
「何處から潜つて來あがつた」
 源吉の調子は壓倒的でした。
「…

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