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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54624
副題073 黒い巾着
073 くろいきんちゃく
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第九卷 幻の民五郎」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年7月20日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1938(昭和13)年3月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-04-17 / 2014-09-16
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「親分、山崎屋の隱居が死んださうですね」
 ガラツ八の八五郎は、いつにない深刻な顏をして入つて來ました。
「それは聽いた。が、どうした、變なことでもあるのかい」
 錢形平次は植木鉢から顏を擧げました。相變らず南縁で、草花の芽をいつくしんでゐると言つた、天下泰平の姿だつたのです。
「變なことがないから不思議ぢやありませんか」
「そんな馬鹿なことがあるものか」
「でも、ね親分、あの隱居は疊の上で往生の遂げられる人間ぢやありませんぜ。稼業とは言ひ乍ら何百人、何千人の壽命を縮めたか、解らない――」
「佛樣の惡口を言つちやならねえ」
「死んだ者のことを彼れこれ言ふわけぢやねえが、ね親分、聽いておくんなさい、このあつしも去年の秋、一兩二分借りたのを、半年の間に、一兩近けえ利息を絞られましたぜ。十手や捕繩を屁とも思はない爺イでしたよ」
 ガラツ八はそんな事を言ひ乍ら、鼻の頭を撫で上げるのでした。
「まさか、十手や捕繩をチラチラさせて金を借りたんぢやあるまいね」
「借りる時は見せるもんですか。尤も、うるさく催促に來た時チラチラさせましたが、相手は一向驚かねえ」
「なほ惡いやな、仕樣のねえ野郎だ。お小遣が要るなら、俺のところへ來てさう言へば宜いのに、――尤も、俺のところにも一兩と纒まつた金は滅多にねえが、いざとなりや、質を置くとか、女房を賣り飛ばすとか」
「止して下さいよ、親分がそんな事を言ふから、うつかり無心にも來られねえ」
 ガラツ八は面目次第もない頸筋をポリポリ掻くのでした。
「お葬ひが濟んで、帳面をしらべたら、借手に御用聞の八五郎の名が出て來た――なんか面白くねえ。お上の御用を勤める者には、それだけの慎みが肝腎だ、――これを持つて行つて、番頭か若主人にさう言つて、帳面から手前の名前だけ消して貰ふが宜い。それから、忌中の家へ手ブラで行く法はないから、これは少しばかりだが香奠の印だ」
 錢形平次はさう言ひ乍ら、財布から取出した小粒で一兩二分、外に二朱銀を一枚、紙に包んでガラツ八の方へ押やりました。
「へエ、相濟みません。それぢやこの一兩二分は借りて參ります。それからこれは少しばかりだが香奠の印――」
「人の口眞似をする奴もねえものだ」
「勘辨しておくんなせえ、少し面喰らつて居るんで」
 八五郎は飛んで行きました。同朋町の山崎屋の隱居勘兵衞に、散々の目に逢はされた一兩二分、死んでからでも返してしまつたら、さぞ清々するだらうと言つた、そんな事しか考へて居なかつたのですが、行つて見ると、それどころの騷ぎではありません。
 湯島の崖を背負つて、大きな敷地に建つた山崎屋の裕福な家の中が、ワクワクするやうな緊張を孕み、集つた親類縁者近所の衆が、ガラツ八の八五郎を迎へて、固唾を呑むのです。
「御免よ、――内々で番頭に逢ひてえが」
「その事でございます、親分さん」
 顏見知りの久藏…

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