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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54628
副題027 幻の民五郎
027 まぼろしのたみごろう
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第九卷 幻の民五郎」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年7月20日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1934(昭和9)年4月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-04-11 / 2014-12-28
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「親分、梅はお嫌ひかな」
「へえ?」
 錢形平次も驚きました。相手は町内でも人に立てられる三好屋の隱居、十徳まがひの被布かなんか着て、雜俳に凝つて居ようといふ仁體ですが、話が不意だつたので、平次はツイ梅干を聯想せずには居られなかつたのです。
「梅の花ぢやよ、――巣鴨のさる御屋敷の庭に、大層見事な梅の古木がある。この二三日は丁度盛りで、時には鶯も來るさうぢや。場所が場所だから、俗も風雅も一向寄り付かない。御屋敷の新造が解つた方で、――三好屋の知合ひで、風流氣のある方があつたら、是非御一緒に――と斯う言ふのぢや、何うだな、八五郎兄哥」
 三好屋の隱居は、相變らず日向に寢そべつて、自分の身體一つを持て餘して居るガラツ八の八五郎に聲を掛けました。
「梅の花といふと、花合せの赤丹を思ひ出すやうな人間に、風流氣なんかあるわけはありません。御隱居さん、無駄ですよ」
 平次は苦笑ひをして居ります。
「お言葉だがネ親分、梅の花なんざ、小汚ねえばかりで面白くも何ともねえが、御馳走と新造付なら考へるぜ」
「馬鹿野郎、何て口の利きやうだ」
「いゝやね、親分、八兄哥は正直だ、――それに向うぢや、平次親分を伴れて來て下されば、恩に着ますつて言ふ位だから、御馳走の方は俺が引受けますよ」
 三好屋の隱居は、何心なく筋書の底を割つて了ひました。
「へツ、御名指しと來やがる、お安くねえぜ、親分」
 とガラツ八。
「そんな事だらうと思ひましたよ、御隱居さん、話が筋になりさうだ、御供しませう」
「行つて下さるか、親分」
 三好屋の隱居は有頂天でした。何か餘程甘い話がありさうです。
 すぐ支度に取掛つて、三人連れの無駄話に興じ乍ら、巣鴨の屋敷に着いたのは、彼れこれ未刻半刻。
 藁葺の洒落れた門を入つて、右左に咲き過ぎた古木の梅を眺め乍ら、風雅な入口の槃を叩くと、
「――」
 美しい女中が現はれて、行儀正しく式臺に三つ指を突きます。
 何だか、晝狐につまゝれたやうな心持、平次はもとより、お喋舌のガラツ八も、毒氣を拔かれて默り込んで了ひました。
「神田の三好屋が、平次親分を連れて參りました。御新造樣に御取次を願ひます」
 三好屋の隱居は茶人帽を脱いで、よく禿げた前額をツルリと撫で上げました。襟へ落ちる柔かい春の陽、梅の匂ひに燻釀された和かな風、すべてが靜かに、平和に、そして一脈の寂をさへ持つた情景でした。
「暫らく御待ち下さいまし」
 芝居の御腰元の外には見たこともないやうな、淑かな女中が姿を隱すと、
「へツ、三ツ指で、――御待ち下さいまし――と來やがつた、親分、惡い心地はしないネ」
「馬鹿」
 平次は睨む眞似をして見せます。
 道々、三好屋の隱居が話してくれましたが、この梅屋敷といふのは、三千五百石取の大旗本、本郷丸山の荻野左仲の別莊で、住んで居るのは、愛妾お紋の方。左仲との中に、男の子を一人生…

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