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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54630
副題077 八五郎の恋
077 はちごろうのこい
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第十卷 八五郎の恋」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年8月10日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1938(昭和13)年6月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-05-23 / 2019-11-23
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「親分、近頃つく/″\考へたんだが――」
 ガラツ八の八五郎は柄にもない感慨無量な聲を出すのでした。
「何を考へやがうたんだ、つく/″\なんて面ぢやねえぜ」
 錢形平次は初夏の日溜りを避けて、好きな植木の若芽をいつくしみ乍ら、いつもの調子で相手になつて居ります。
「大した望みぢやねえが、つく/″\大名になりてえと思つたよ、親分」
「何? 大名になりてえ、大きく出やがつたな、畜生ツ」
 平次はさう言ひ乍ら、楓林仕立ての盆栽の邪魔な枝を一つチヨンと剪りました。
「第一、お小遣ひに困らねえ」
「成程ね、大名衆がお小遣ひに困つた話はまだ聞かねえ」
 平次もそんな事を言ふのです。植木に夢中になつて、八五郎の哲學などは、どうでもよかつたのでせう。
「お勝手元不如意と言つたところで、こちとらのやうに、八文の湯錢に困るなんてことはねえ」
「餘程困ると見えるな、八」
「へエ、お察しの通りで」
 八五郎は、ポリポリ頸筋を掻きました。
「呆れた野郎だ。大名高家を引合に出して、八文の湯錢をせびる奴もねえもんだ」
 さう言ひ乍らも平次は、お靜を眼で呼んで、あまり澤山は入つて居さうもない自分の財布を持つて來させるのでした。
「濟まねえ、親分、湯錢と髮錢と、煙草を一と玉買ひさへすりやいゝんで、――そんなに要りやしませんよ」
「まア、取つて置くがいゝ。大名ほどの贅は出來めえが、それだけありや、町内の人參湯で一日茹つてゐられるだらう」
「へツ、濟まねえなア、――それぢや借りて行きますよ。ね、親分、お小遣はまア、親分から借りるとして」
「まだ不足があるのかい」
「大名の話の續きだが、――夏冬の仕着にも不自由はなく」
「仕着せだつてやがる」
「質屋の出し入れがないだけでも、どんなに氣が樂だか解らねえ。その上、出入はお駕籠、百姓町人に土下座をさせて、氣に入らねえ奴があると、いきなり無禮討だ」
「氣に入つた女は、いきなりしよつ引いてお部屋樣だらう」
「そ、それを言ひたかつたのさ、ね、親分」
 ガラツ八は少し相好を崩して長い顎を撫でます。
「馬鹿野郎、又何處かの小格子の化け損ねた狐のやうなのにはまり込みやがつたんだらう」
「そんな玉ぢやありませんよ。あつしがしよつ引いて來たいのは先づ――」
「煮賣屋のお勘子だらう、ちやんと探索が屆いて居るよ。手前が買ひに行くと、お煮〆が倍もあるんだつてね」
「馬鹿にしちやいけません。あんな小汚いのは此方で御免だ――先づこの八五郎がしよつ引いて手活けの花と眺めたいのは――」
「大きく出やがつたな」
「横町の中江川平太夫の娘お琴さん」
「わツ、助けてくれ」
 平次は大仰な身ぶりをしました。横町の中江川平太夫といふのは、北國浪人で六十幾つ、髮が眞白な上、進退不自由の老人ですが、界隈切つての物持ちで、その上、養ひ娘のお琴は、少し智慧は足りないと言はれて居りますが、見てく…

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