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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54638
副題311 鬼女
311 きじょ
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第十二卷 鬼女」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年8月25日
初出「報知新聞」1953(昭和28)年3月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-07-04 / 2016-05-10
長さの目安約 107 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

附け文ごつこ


「あら、八五郎親分」
 神田お臺所町、これから親分の錢形平次の家へ朝詣りに行かうといふところで、八五郎は馥郁たる年増に抱きつかれてしまひました。
 櫻の蕾もふくらみさうな美しい朝、鼻の穴を大きくして、彌造を二つ、七三に拵へて、間伸びのした小唄なんかをひよぐりながら、親分の錢形平次の家へ、その日の新聞種を持つて行くのが、長い間の八五郎の慣はしだつたのです。
「わつ、びつくりするぢやねえか、いきなり飛付いたりして」
 八五郎は立ちどまつて、精一杯の見榮をきりました。双腕の彌造は、何處に敵がゐるかもわからない御用聞のたしなみにはないことですが、鼻唄の旋律をこね回すのには、かう二た子山を拵へて、長んがい顎で梶を取らないと、うまい具合には行きません。
「でも、鼻の頭を嘗めるのだけは、勘辨して上げたわよ」
「御遠慮には及ばない、嘗めてもらひたかつたよ」
「でも、ね、顎が邪魔になるから」
「畜生ツ、いつたね」
 八五郎は大きく拳固を振り上げました。錢形平次の子分で、足でネタをあさつて歩く愛稱ガラツ八は廣い江戸中に、バラ撒いたほどの友達を持つてをりますが、この馥郁たる年増もその一人、八五郎の鼻ぐらゐは嘗め兼ねない、いとも勇敢なる女性の一人だつたのです。
 名前はお粂、下谷長者町の金貸俵屋孫右衞門の娘、凄いほどのきりやう、浮氣で、陽氣で、少々は嘘つきで、無類の愛嬌者でした。これだけの條件が揃つて、嫁入先から追出されたのは、どうにもならぬ尻輕のためだともいはれ、持前の愛嬌を、相手構はず振り撒いて歩くので、亭主の燒餅がひどかつたためともいはれてをります。
「本當に、此處で逢つたは百年目よ」
「敵討ち見たいなことをいふな」
「今日こそは錢形の親分に引き合せて下さるでせうね」
「引合せるのは御安い御用だが、お前は親分に岡惚れをしてゐるさうぢやないか、下谷中の評判だぜ」
「私がいひ觸らしたんだもの、評判になるのは當り前よ」
「呆れてモノがいへねえ」
「正直で可愛らしいぢやありませんか、ね、連れて行つて下さいよ、八五郎親分」
「御免蒙らうよ、錢形の親分の鼻へ噛みつかれちや、俺はお靜姐さんに濟まねえ」
「そんなことをいはないで、ね、八五郎親分――これは人の命にかゝはることよ」
 お粂は眞劍になりました。キツとなると、百媚悉く影を潜めて、怖いほど美しくなります。

「何處へ行くんだ、お前は?」
 八五郎は、平次の家の前で立ちどまりました。まいた積りのお粂が、何處の路地から飛出したか、チヨコチヨコとよく馴れた小犬のやうに、八五郎の後ろからついて來るのです。
「あら、錢形の親分に引合せて下さる筈ぢやありませんか」
「そんなことを引受けた覺えはないよ」
「意地の惡いことを言はないで連れて行つて下さいよ、錢形の親分に逢つてゐる間は、ニコリともしないから」
 さう言ふくせに、こぼ…

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