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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54653
副題162 娘と二千両
162 むすめとにせんりょう
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第十八卷 彦徳の面」 同光社磯部書房
1953(昭和28)年10月20日
初出「東北文庫」1946(昭和21)年
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-05-18 / 2016-03-04
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「わツ驚いた、ドブ板が陷穴になつて居るぜ。踏み返したとたんに赤犬が噛み付きさうに吠える仕掛は念入り過ぎやしませんか、親分」
 ガラツ八の八五郎は危ふく格子戸につかまつて、件の噛み付くやうな赤犬を追ひ乍ら、四方構はぬ聲をあげるのでした。
「靜かにしろ、そいつは皆んな借金取除けの禁呪なんだ、――今日を何時だと思ふ」
 捕物の名人錢形の平次は、六疊縁側近く寢轉がつたまゝ、斯んな馬鹿なことを言ふのです。
「良い御用聞が、大晦日でもないのに、天下泰平だぜ」
 八五郎は斯んな毒を言ひ乍らも。妙につまされてホロ苦い顏をするのでした。
 四月三十日、初鰹にも、時鳥にも興味はなくとも、江戸の初夏の風物は此上もなく爽かな晝下がりです。
「お前のやうな家の子郎黨は、搦め手から通りや宜いのさ。妙に見識張つて大玄關にかゝるから、手飼ひの獅子王に吠えつかれるんぢやないか」
「へツ/\。手飼ひの獅子王は嬉しいね――その怪物が大玄關で魚の骨をしやぶつてゐるぜ」
 無駄口をいひながらもガラツ八はノツソリと平次の前に突つ立つて居ります。
「まア坐れ、突つ立つたまゝ物を言ふ奴があるかい――坐つたら懷ろ手を拔くんだ。世話のやける野郎ぢやないか」
「今日は意地の惡い姑のやうに口うるさいんだね。餘つ程執念深い借金取でも來たんですかえ」
「餘計な世話だ。それよりお前の方の用事を先に片付けるがいゝ、――一體何を嗅ぎ出して來たんだ」
「褒美附の搜し物ですよ、――こいつを搜し出しや、褒美の金が百兩――小判で百枚ですよ。憚り乍ら親分が頭痛に病んでゐる家賃や酒屋の拂ひは精々二分か一兩、思ひ切り溜めたところで三兩とはないでせう」
「恐ろしく見縊りやがつたな」
「ちよいと乘出して下さいよ。錢形の親分が顏を出しや、紛失物の方からノコノコ名乘つて出ますよ」
「ところで、その搜し物といふのは何んだ」
「小判で二千兩」
「大層な紛失物ぢやないか、二千枚の小判は財布や巾着には入るめえ、誰が何處で落つことしたんだ」
「落したんぢやありません。消えてなくなつたんで」
「春先の雪達磨ぢやあるめえし、小判や小粒が消えてたまるものか」
「だから不思議なんで、まア聽いて下さいよ親分」
 ガラツ八は此處まで平次の興味を釣つて置いて、お先煙草の烟を輪に吹き乍ら、靜かに語り出すのでした。
「百兩の褒美は氣障だが――二千兩の小判が消えてなくなるのは陽氣のせゐぢやあるめえ」
 平次はまだからかひ面ですが、充分好奇心は動いてゐる樣子です。
「飯田町の鬼と言はれた、金貸の作兵衞は親分も知つてますね」
「こちとらには百文も貸す氣遣ひはねえが、旗本や御家人泣かせで名高い親爺だ」
「その作兵衞は去年の秋死んで、後家のお角が奉公人を使つて先代の家業を續けてゐますがね、――この女は男勝りの強か者で、先代の遺言だからと言つて、三千兩といふ大金を投出して、旗本…

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