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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 54704 |
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副題 | 120 六軒長屋 120 ろっけんながや |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「錢形平次捕物全集第二十三卷 刑場の花嫁」 同光社 1954(昭和29)年4月5日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋社、1941(昭和16)年4月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2016-09-05 / 2016-09-02 |
長さの目安 | 約 27 ページ(500字/頁で計算) |
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一
本郷菊坂の六軒長屋――袋路地の一番奧の左側に住んでゐる、烏婆アのお六が、その日の朝、無慘な死骸になつて發見されたのです。
見付けたのは、人もあらうに、隣に住んでゐる大工の金五郎の娘お美乃。親孝行で綺麗で、掃溜に鶴の降りたやうな清純な感じのするのが、幾日か滯つた日濟しの金――と言つても、緡に差した鳥目を二本、袂で隱してそつと裏口から覗くと、開けつ放したまゝの見通しの次の間に、人相のよくない烏婆アが、手拭で縊り殺されて、凄じくも引つくり返つて居たのです。
「あツ、大變、――誰か、來て下さい」
お美乃は思はず悲鳴をあげました。確り者と言つても、取つてたつた十八の娘が、不意に鼻の先へ眼を剥いた白髮ツ首を突き付けられたのですから、驚いたのも無理はありません。
「何んだえ、お美乃さんぢやないか」
眞つ先に應へてくれたのは、一間半ばかりの路地を距てて筋向うに住んでゐる、鑄掛屋の岩吉でした。五十二三の世をも人をも諦めたやうな獨り者で、これから鑄掛道具を引つ擔いで出かけようと言ふところへ、この悲鳴を聽かされたのです。
「鑄掛屋の小父さん、た、大變ですよ」
「何處だい、お美乃さん」
お六婆アの家の表は、まだ嚴重に締つてゐるので、岩吉はお美乃の聲が何處から聽えて來たか、一寸迷つた樣子です。
「お六小母さんが――」
「婆さんがどうしたといふんだ」
岩吉は枳殼垣と建物の間を狹く拔けて、お六婆アの家の裏口へ廻つて仰天しました。
「小父さん、どうしませう」
「何うも斯うもあるものか、長屋中へ觸れてくれ。それから、醫者にさう言ふんだ」
岩吉はさう言ひ乍ら、裏口の柱につかまつて、ガタガタ顫へて居ります。中へ入つて死骸の始末をすることも、死骸の側を通り拔けて、表戸を開けてやることなども、この中老人は出來さうもありません。
そのうちに、壁隣りに居るお美乃の父親――大工の金五郎も飛んで來ました。二日醉ひらしい景氣の惡い顏ですが、これはさすがに威勢の良い男で、
「早く介抱してやるが宜い。締められた位で往生するやうな婆アぢやあるめエ」
いきなり死骸を抱き起しましたが、石つころのやうに冷たくなつて、最早命の餘燼も殘つてゐさうもありません。
「こいつはいけねエ」
金五郎は死骸を置いて表戸を開けると、其處には、岩吉の隣りに住んでゐる日雇取の與八と女房のお石が、叱られた駄々ツ兒のやうな、脅えきつた顏を並べて立つて居るのでした。
最後に金五郎の隣り――與八夫婦の向うに住んでゐる按摩佐の市の母親も出て來ました。眼の見えない佐の市を除けば、これで長屋總出になつたわけですが、脅えた顏を揃へて、わけの解らぬことを囁き合ふだけで、何の足しにもなりません。
「何が始まつたんだ。大變な騷ぎぢやないか」
木戸の外から聲を掛けて、若い男が入つて來ました。六軒長屋の直ぐ外――表通りに住む雪之助といふ二…