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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 54705 |
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副題 | 103 巨盗還る 103 きょとうかえる |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「錢形平次捕物全集第二十三卷 刑場の花嫁」 同光社 1954(昭和29)年4月5日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋社、1939(昭和14)年11月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2016-07-20 / 2016-06-10 |
長さの目安 | 約 31 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「親分の前だが、此頃のやうに暇ぢややりきれないね、ア、ア、ア、ア」
ガラツ八の八五郎は思はず大きな欠伸をしましたが、親分の平次が睨んでゐるのを見ると、あわてて欠伸の尻尾に節をつけたものです。
「馬鹿野郎、欠伸に節をつけたつて、三味線には乘らないよ」
「三味線には乘らないが、その代り法螺の貝に乘る」
「呆れた野郎だ、山伏の祈祷をめりやすと間違えてやがる」
平次は大きな舌打をしましたが、小言ほど顏が苦りきつては居りません。
「全く退屈ぢやありませんか、ね親分。こんな古渡りの退屈を喰つちや、御用聞は腕が鈍るばかりだ。なんか斯う胸へドキンと來るやうな事はないものでせうか」
「御用聞が暇で困るのは、世の中が無事な證據さ。それほど退屈なら、跣足で庭へ降りて、水でも汲むが宜い、土が冷えて居て飛んだ佳い心持だぜ」
錢形平次は相變らず、世話甲斐のない、植木の世話に餘念もなかつたのです。――秋の陽は向うの屋根に落ちかけて、赤蜻蛉が僅ばかり見える空を、スイスイと飛び交はす時分、女房のお靜はもう晩飯の仕度に取りかかつた樣子で、姐さん冠りにした白い手拭が、お勝手から井戸端の間を、心せわしく往復してゐる樣子です。
「折角のお言葉だが、あつしが世話をすると、植木が皆んな枯れつちまひますよ」
ガラツ八は良心に愧る樣子もなく、續け樣にお先煙草をくゆらして、貧乞搖ぎをする風もありません。
「宜い心掛けだ。――その氣だから段々縁遠くなる」
「へツ、――縁遠くなる――と來たね。驚いたね、どうも」
八五郎はニヤリニヤリと顎を撫でて居ります。
「先刻から、退屈を賣物にしてゐるやうだが、一體何にか言ひ度い事でもあるのかい。物に遠慮のある性質でもあるめえ。用事があるなら、さつさと言つてしまつたらどうだ」
「えらいツ、流石は錢形の親分。天地見通しだ」
「馬鹿だなア」
「ね、親分、聞いたでせう。麹町六丁目の娘殺し」
「聽いたよ。櫻屋の評判娘が昨夜人手に掛つて死んだつてね。――今朝八丁堀の組屋敷へ行くとその噂で持ちきりだ」
「虐たらしい殺しでしたよ。どんな怨みがあるか知らないが、十九になつたばかりの小町娘――上新粉で拵へて色を差したやうな娘を、鉈や鉞で殺して宜いものか惡いものか――」
「待ちなよ八。口惜しがるのはお前の勝手だが、煙管の雁首で萬年青の鉢を引つ叩かれちや、萬年青も煙管も臺なしだ」
「だつて口惜しいぢやありませんか、親分。若くて綺麗な娘は、天からの授かりものだ。それを腐つた西瓜のやうに叩き割られちや――」
「解つたよ八。殺した野郎が重々惡いに異存はないが、俺を引つ張り出さうたつて、そいつはいけねえよ。あの邊は十三丁目の重三の繩張りだ、勝手に飛び込んで掻き廻しちや惡い」
平次は大きく手を振りました。さうでなくてさへ、この二三年江戸の捕物は錢形平次一人手柄で、宜い加減御用聞仲間の嫉視を買…