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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54713
副題118 吹矢の紅
118 ふきやのべに
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十四卷 吹矢の紅」 同光社
1954(昭和29)年4月25日
初出「オール讀物」文藝春秋社、1941(昭和16)年2月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2016-08-30 / 2019-10-28
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 錢形平次はお上の御用で甲府へ行つて留守、女房のお靜は久し振りに本所の叔母さんを訪ねて、
「しいちやんのは鬼の留守に洗濯ぢやなくて、淋しくなつてたまらないから、私のやうなものを思ひ出して來てくれたんだらう」などと、遠慮のないことを言はれながら、半日油を賣つた歸り途、東兩國の盛り場に差しかゝつたのは、かれこれ申刻(四時)近い時分でした。
 平次と一緒になる前、一二年こゝの水茶屋で働いてゐたお靜は、兩國へ來ると――往來の人の顏にも兩側の店構へにも、いろ/\と古い記憶が蘇生ります。今の幸福さに比べて、それは決して甘い思ひ出ではなかつたにしても、その記憶の中に織込まれてゐる平次の若いおもかげや、今は行方も知れなくなつた多勢の朋輩達のことなどが、涙ぐましく懷しく思ひ出されるのです。
「まア」
 その中にも、輕業の玉水一座の繪看板がお靜の注意をひきました。花形の太夫は小艶といふ二十四五の女で、曾ては水茶屋のお靜と張合つた兩國第一の人氣者。身持の方は評判の良い女ではありませんでしたが、藝と容貌は拔群で、わけてもその綱渡りは名人藝でした。
 もう一人小染といふのが同じ玉水一座にをります。もう二三年會つたこともありませんが、お靜とは年齡の隔りを越えての仲好しで、藝の修業の辛さを、泣きながら訴へた小娘時代のことが、昨日のことのやうに思ひ出されます。もう十九か二十の立派な女太夫になつてゐることでせう。これは吹矢の名人で、數十歩を隔てて木綿糸に吊つた青錢の穴に射込むといふ凄い藝の持主でした。
「おや?」
 お靜は物に脅えたやうに立止りました。
 輕業小屋の中は煮えくり返るやうな騷ぎで、一パイに入つたお客は、興奮しきつた顏をして木戸から外へ追ひ出されてをります。
「可哀想ぢやないか、あんな結構な太夫を殺して、――過ちで墜ちたのかと思つたら、こめかみへ吹矢が突つ立つてゐたんだつてネ」
「過ちで落ちるやうな太夫ぢやないよ、綱の上で晝寢をしたといふ小艶だ」
 そんな群集の話を聽くと、お靜はハツと立ち縮みました。玉水一座の花形太夫小艶が、綱の上で何にか間違ひをしたのでせう。小艶が渡つた高綱、――舞臺の上六七間もあるところへ張り渡して客の頭の上まで乘出したのから落ちては、怪我くらゐでは濟まなかつたでせう。その上、こめかみの吹矢といふ言葉が妙にお靜の神經を焦立てます。
 樂屋裏の方へそつと廻ると、こゝには表にも劣らぬ人立ちで、
「寄るな/\見世物ぢやねエ」
 四ツ目の銅八の子分衆が、威猛高になつて彌次馬を叱り飛ばしてをります。曾ては平次と張り合つた御用聞――石原の利助が死んで、娘のお品が山の手に引越してからは、子分衆もすつかり四散して了ひ、この邊は四ツ目の銅八が乘出して、錢形平次などには、指も差させまいとしてゐるのでした。
 お靜は人垣の後ろから背伸びをしてゐると、
「退け/\」
 赭い大…

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