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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 54726 |
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副題 | 129 お吉お雪 129 おきちおゆき |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「錢形平次捕物全集第二十五卷 火の呪ひ」 同光社 1954(昭和29)年5月10日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋社、1942(昭和17)年1月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2016-10-02 / 2016-09-21 |
長さの目安 | 約 23 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「親分、あれを御存じですかえ」
ガラツ八の八五郎はいきなり飛び込んで來ると、きつかけも脈絡もなく、こんなことを言ふのでした。
「あ、知つてるとも。八五郎が近頃兩國の水茶屋に入り侵つて、お茶ばかり飮んで腹を下してゐることまで見通しだよ。どうだ驚いたらう」
錢形の平次はこの秘藏の子分が、眼を白黒するのを、面白さうに眺めながら、こんな人の惡いことを言ふのです。
「親分の前だが、それが大變なんで」
「八五郎の嫁になりたいといふ茶汲女でもあるのかい。劫を經たのはいけないよ」
「そんな間拔けな話ぢやありませんよ」
「恐ろしく突き詰めた顏をするぢやないか。惡いことは言はない、心中や駈落ちだけは止してくれ。叔母さんが心配するぜ」
一向相手にならない平次の前に、八五郎はでつかい財布の中から半紙一枚に假名で書き流した手紙を出して見せるのでした。
「これを讀んで下さいよ、親分」
「何」
漸く眞劍になつた平次、煙管を投り出すと、紙の皺を延ばしながらざツと讀み下しました。
文字は金釘流、文意もしどろもどろですが大骨折で辨慶讀にすると、
『――近頃本所元町の越前屋半兵衞のところに、いろ/\不思議な事が起つて不氣味でかなはない。いづれは惡人の惡企みではあらうが、お二人のお孃樣に萬一のことがあつてはいけないからお知らせする――』と書いてあるのです。
「ね、こいつは一寸氣になるでせう」
八五郎の鼻は少しうごめきます。
「それで何うしたといふのだ」
「水茶屋に入り侵ると見せかけて、よそながら越前屋を見張りましたよ。二日三晩經つても、何んにも起らないと思ふと――」
「當り前だ。こいつは惡戯にきまつてゐるぢやないか。字は恐ろしく下手だが、わざと下手ツ糞に書いたのだよ――釣筆と言つてな、天井から絲で筆を吊つて、紙の方を動かしながら書くとこんな字になるよ」
「ところが變つたことがあつたんですよ。親分」
「どんなことがあつたんだ」
「越前屋の後添の連れ子で、手代のやうに働いてゐる福松といふのが、昨夜兩國橋の上から大川へ投り込まれたんです」
「死んだのかい」
「死にはしません。房州へ里にやられて、海を見ながら育つたんで、魚見たいに泳げるんださうで。――尤もこの寒空だから、念入りに風邪は引きましたよ」
「投り込んだ相手が判るのか」
「頬冠りをした遊び人風の男が、いきなり橋の上で突き當つて、――氣を付けろ、――何を、――かなんか二た言三言やり合ふ間もなく、足をさらつて投り込んださうで」
「盜られた物は?」
「何んにも盜られなかつたさうですよ」
「成程そいつは少しをかしいな。――もう少し見張つてゐるがいゝ。こんな時でもなきや、大つぴらに水茶屋に入れ揚げられめえ」
「へツ、まアそんなことで」
八五郎は素直に歸つて行きましたが、それから五六日經つと、『大變』の旋風を起してやつて來ました。
「親分…