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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ |
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作品ID | 54731 |
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副題 | 203 死人の手紙 203 しにんのてがみ |
著者 | 野村 胡堂 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「錢形平次捕物全集第二十六卷 お長屋碁會」 同光社 1954(昭和29)年6月1日 |
初出 | 「オール讀物」文藝春秋新社、1949(昭和24)年10月号 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2017-03-24 / 2017-03-04 |
長さの目安 | 約 26 ページ(500字/頁で計算) |
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一
「親分、死んだ人間が手紙を書くものでせうか」
あわて者のガラツ八は、今日もまた變梃なネタを嗅ぎ出して來た樣子です。
町庇の影が漸く深くなつて、江戸の秋色も一段とこまやかな菊月のある日、
「何を言ふんだ。生きてゐる人間だつて、書けねえのがうんとあるぜ」
平次は月代を剃つて貰ひ乍ら、振り向いて見ようともしません。尤も剃刀を持つて居るのは、片襷を掛けた戀女房のお靜。月代は漸く濟んだが、顎のあたりへ刄物が來て居るので、危なくて身體も動かせなかつたのです。
「だから、死人の書いた手紙は變でせう」
「變だとわかつたら、俺のところへ訊きに來る迄もあるめえ、――今日は滅法忙しいんだ。お前なんかをからかつちや居られねえよ」
「へエ、それにしても大層なおめかしぢやありませんか、新情婦でも出來たんで?」
「馬鹿だなア、四方を見てから物を言ふが宜い。後ろに立つて居るのは俺の女房だぜ」
「へツ、違げえねえ」
「その女房の手には刄物を持つてゐるんだ。冗談にも浮氣の話をされると、俺はヒヤヒヤするぢやないか」
「まア」
戀女房のお靜、――内氣で忠實で、まだ若々しくさへあるのが、夫の平次と八五郎の度を過した冗談に、剃刀のやり場に困つて一瞬立ち竦んだ形になつたのも無理のないことでした。
「相濟みません。そんなつもりで言つたんぢやありませんよ。姐さんの前だが、親分と來た日にや、不粹で野暮で、女嫌ひで――」
「――吝で剛情で唐變木で――と、來るだらう」
掛合噺のうちに、お靜はざつと剃つて、いとしき夫の顎のあたりを、濡れ手拭で丁寧に拭いてやりました。二人の惡洒落には、相手になつてやらない覺悟をきめた樣子です。
「ところで、その死人の手紙ですがね、親分」
八五郎はでつかい煙草入の中から、何やら小さく疊んだ紙を出して、自分の膝の上で念入りに伸して居ります。
「まだ、その死人の手紙が祟つて居るのかえ。一體何處でそんな縁起の惡いものを拾つて來たんだ」
平次は縁側に煙草盆を持出すと、八五郎の話をぼんのくぼに聽く恰好になつて、晝下がりの陽の中に、丹精甲斐の無い狹い庭を眺めて居ります。
「凄い年増ですよ、親分。ちよいと行つて見ませんか、――死んだ亭主から手紙を貰つて顫へ上がつて居るから、親分が顏を出しや、どんなに喜ぶか知れやしませんよ」
「年増でも新造でも、凄からうが當り前の人間だらうが、亡者から手紙を貰ふやうな女は嫌ひだよ」
「でも、ちよいと良い筆跡ぢやありませんか、こいつは何んとか流と言ふんだつてね」
八五郎がそんな事を言ひ乍ら、膝の上で皺を伸ばしてゐる上へ、平次はフト好奇の眼を走らせました。
「なるほど見事な手だな。そいつは大師流とか何んとか言ふんだらう、――どれ/\」
平次の探求本能は、たうとう八五郎の期待に落ち込んで來たのです。
手に取つて見ると、薄手の半紙に、美しい筆跡で書い…