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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54733
副題202 隠し念仏
202 かくしねんぶつ
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第二十六卷 お長屋碁會」 同光社
1954(昭和29)年6月1日
初出「オール讀物」文藝春秋新社、1949(昭和24)年9月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2017-03-21 / 2017-03-04
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「親分、親分が一番憎いのは何んとか言ひましたネ」
 ガラツ八の八五郎、入つて來るといきなりお先煙草の烟管を引寄せて、斯んな途徹もないことを言ふのです。
 初秋の陽足は疊の目を這ひ上がつて、朝乍ら汗ばむやうな端居に、平次は番茶の香氣をいつくしみ乍ら、突拍子もない八五郎の挨拶を受けたのでした。
「俺が憎いと思ふのは――年中お先煙草を狙ふ奴と、鼻糞を掘つて八方へ飛ばす奴と、埃だらけな足で人の家へ入る奴と――それから」
「もう澤山。わかりましたよ、親分」
「遠慮するなよ、もう少し並べさしてくれ。こんな折でもなきや俺とお前の中でも思ひきつたことは言へねえ」
「驚いたね」
「毎々驚くのは俺の方だよ。庭へ唾を吐くのも憎いし、髷の刷毛先を、無暗に左へ曲げるんだつて、可愛らしい好みぢやないぜ」
 平次は八五郎の面喰つた顏を眺めながら、ニヤリニヤリと讀み上げるのです。
「そんな事で勘辨しておくんなさい。あつしの棚おろしはいづれ暇で/\仕樣のない時のこととして――」
「今日は暇で/\仕樣がないんだよ。でも、俺が數へるのを、一々と自分のことと氣が付くところを見ると、八五郎も滿更ぢやねエ」
「冗談ぢやありませんよ、――まるで小言を食ひに來たやうなものだ。ね、親分。親分の大嫌ひな子さらひがありましたよ。親の歎きを考へると、子さらひほど罪の深けえものはないと、親分は言つたでせう」
「その子さらひが何處にあつたんだ」
 平次も漸く眞劍になりました。トボケたことを言ひながらも、八五郎の鼻の良さがなかつたら、不精者の平次はあぶれてばかり居ることでせう。
「それも可愛らしいのが二人、一ぺんに見えなくなつたんで。神隱しにしちや慾張り過ぎるから――」
「お前のいふことは一々變だよ、――何處の子が居なくなつたんだ。それを先に言はなきや」
「成程ね、そいつが一番大事だつたんだ。親分も御存じでせう、湯島の生藥屋で上總屋宗左衞門の孫、お千代といふ八つの娘と、新吉といふ六つの男の子が二人。母屋から藏へ通ふ廊下で、煙のやうに消えてなくなつたんだが」
「それは何時のことだ」
「昨日のことですよ、ちよいと行つて見て下さい。金や物を盜られたのと違つて、親達の歎きは大變だ。見ちや居られませんよ」
 平次は到頭口説き落されました。
「よし、それほど言ふなら行つてやらう。二人一緒に行方不知になるのは、餘つ程深いわけのあることだらう」
 錢形平次は手早く支度をして、八五郎と一緒に晝近い街へ出ました。
 紅葉にはまだ早く、江戸の空は澄みきつて、本郷臺の秋は言ひやうもなく快適です。
 上總屋宗左衞門といふのは、山の手きつての大きい生藥屋で、世間並の草根木皮の外に、蘭方の家傳藥なども賣り、幾代に亙つて榮えて居ります。
 店暖簾を潜つた八五郎と、それに續く平次の顏を見ると、店に居た番頭の彌七は、あわてて奧へ飛び込みました。主人…

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