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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
作品ID54767
副題318 敵の娘
318 かたきのむすめ
著者野村 胡堂
文字遣い旧字旧仮名
底本 「錢形平次捕物全集第三十四卷 江戸の夜光石」 同光社
1954(昭和29)年10月25日
初出「オール讀物」文藝春秋新社、1954(昭和29)年3月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者門田裕志
公開 / 更新2017-01-29 / 2017-03-04
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「ね、お前さん」
 女房のお靜は、いつにもなく、突きつめた顏をして、茶の間に入つて來るのでした。梅二月のある日、南陽が一パイに射す椽側に、平次は日向煙草の煙の棚引く中に、相變らず八五郎と、腹にもたまらない無駄話の一刻を過して居るのでした。
「恐ろしく眞劍な顏をするぢやないか。また俺の湯呑でも割つたんだらう」
 錢形平次は後ろを振り向きもせずに、斯んなことを言ふのです。
「あれ、お前さん」
 お靜は途方に暮れて言ひ淀みました。察しの宜いのは嬉しいが、いつでも斯う先をくゞつて感の働く平次です。
「それとも、勝手口へうるさい押賣でも來たといふのか」
「さうぢやありませんよ。後生の願ひだから、親分に逢はせてくれといふ娘さんが、來ましたが」
「姐さん、その娘といふのは、年は幾つくらゐで、綺麗ですか」
 八五郎は横合ひから口を出します。
「馬鹿だなア、娘と聞くと眼の色を變へて乘り出しやがる。――四十八歳のゆき遲れで、人三化七だつた日にや、女房の取次があんなに彈むものか」
「あれ、お前さん」
 お靜はもう一度同じ臺詞を繰り返して、立ち去りもならず、そのまゝ居竦むのです。
「まア宜い、逢ふも逢はないもあるものか。殿樣へお目見得ぢやあるめえし、此處へ通すんだ。お勝手から來るやうぢや、どうせ若い娘だらうから脅かして歸しちやならねえ」
「――」
 お靜は心得て立去ると、間もなく十六七の可愛らしいのを、押し出すやうに連れて來ました。紅嫌ひの浮世繪の娘姿のやうに、それは地味ではあるが、申し分なく可憐な好ましい姿でした。
 おど/\してゐるが、下つぷくれの情熱的な顏立ち、木綿物の黄縞に黒襟をかけて、帶までが黒いのは氣になりますが、開きかけた唇は妙に引吊つて、涙を噛みしめたやうな、いぢらしさに顫へるのです。
「どうしたんだ姉さん、大層な心配事があるやうだが、打ち明けて話すが宜い。お前さんが此處へ飛び込むのは、よく/\思ひ詰めたことがあるんだらう」
 平次は靜かに訊きました。娘の丸い肩が、堪へ性もなく顫へるのを、お靜は後ろからソツト抱き締めるやうに、手拭で涙を拭いてやりました。
「でも、父さんが殺されたんですもの」
「ま、待つてくれ。お前は何處のなんといふ娘だ。藪から棒にそいつは大變なことぢやないか」
 平次も少しあわてました。こんな可愛らしい娘が、いきなり飛び込んで來るさへ尋常でないのに、父親が殺されたといふのは、話が突拍子もなさ過ぎます。
「私はゆかり――父親は、飯田町の中坂下の錺屋田屋の三郎兵衞と申します」
「それが?」
「今朝、私の手内職のお仕立物を、番町の御得意樣に屆けた後、――戻つて見ると、父さんが――」
 娘は涙も拭き敢へず、子供のやうにせぐりあげるのです。
「それからどうした」
「飯田町の兼吉親分が、多勢の子分衆をつれて來て、お隣りの勇三郎さんを縛つて行つてしまひまし…

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