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![]() しんりんとじゅもくとどうぶつ |
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作品ID | 54846 |
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著者 | 本多 静六 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「山の科学」 復刻版 日本児童文庫、名著普及会 1982(昭和57)年6月20日 |
入力者 | しだひろし |
校正者 | POKEPEEK2011 |
公開 / 更新 | 2016-01-29 / 2015-12-24 |
長さの目安 | 約 49 ページ(500字/頁で計算) |
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山と人
(一)森林の效用
(イ)洪水の豫防。 森林とは山や丘の一面に、こんもり木が生え茂つて、大きな深い林となつてゐる状態をいふのです。われ/\の遠い/\最初の祖先が、はじめてこの地球上に現れたころには、森林は、そのまゝ人間の住みかでもあり、また食べ物の出どころでもありました。たゞ今でも馬來半島のある野蠻人種は、木の枝の上に家を作つて住んでゐますが、これなどは、今言つたように、人間がぢかに森林の中にゐた習慣が殘り傳はつた面白い一例です。ともかく大昔の人間は、森林に住んで、草や、木の實や、野獸や、河の魚などをとつて、生のまゝで食べてゐたもので、ちょうど今日の山猿のような生活をしてゐたのです。
それが、だん/\と人口がふえ、みんなの智慧も開けて來るに從つて、やうやく火といふものを使ふことを知り、食べ物も[#挿絵]たり燒いたりして食べるようになり、また寒いときには木を燃してあたゝまることをおぼえたのです。つまり薪や炭の材料として森林を利用するようになつたわけです。それに、また一方では人口の増加につれてこれまで食料にしてゐた草や木の實もだん/\足りなくなり、それを補ふために畑をこしらへて、農作をする必要がおこるし、同時にまた野獸も、しだいに少くなつて來たので、牧畜といふことをしなければたちいかなくなりました。その農作地と牧場とを作るためには森林の一部分を燒き拂ひ燒き拂ひしました。ですから彼等のゐる村落附近の山林は、後にはだん/\に狹く、まばらになつて來て、つひには薪の材料にも不足するようになりました。
なほ人智がいよ/\發達し人口がどん/\増すにつれて、最後には奧山の木までも伐つて家屋、橋梁、器具、機械、汽車、電車、鐵道の枕木、電信、電話の[#「電話の」は底本では「電信の」]柱といふように、建築土木の用材にも使ふようになりました。それから、大きな木材から細かな纎維をとつて紙をこしらへたり、その他にも使ふようにもなり、最近では人造絹絲の原料にも澤山の木材を使つてゐます。こんな風に薪炭用、建築土木用、木纎維用等のために森林はどん/\伐り倒され、深い山、ふかい谷底の森林までがだん/\に荒されるようになりました。かうなると大雨が降るたびに、山の土や砂はどん/\流れおち、またおそろしい洪水がおこるようになりました。
日本では明治維新の後、森林をむやみに伐つた結果、方々で洪水に犯され、明治二十九年度には二萬九百八十一町村といふものが水につかり、一千二百五十人の死人と二千四百五十人の負傷者を出した外に、船の流失三千六百八十隻、家の流れたり、こはれたりしたのが七十二萬九千六百餘棟、田畑の荒されたこと七十八萬五千餘町に上り、そのほか道路の破損、橋の流れおちたもの等を加へて、總損失一億一千三百餘萬圓、その復舊費二千四百餘萬圓を入れると合計一億三千七百餘萬圓といふ計算でした。つ…