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ロザリオの鎖
ロザリオのくさり
作品ID54870
著者永井 隆
文字遣い新字新仮名
底本 「ロザリオの鎖」 中央出版社
1959(昭和34)年2月25日
入力者へくしん
校正者富田倫生
公開 / 更新2012-08-09 / 2014-09-16
長さの目安約 218 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

自序



 長崎の野に廃人の身を横たえてから二年余り、知る人知らぬお方のお祈りと励ましの力によって細々ながら生命をつないで来たが、その間に書いたり口述したりした短文を式場博士がまとめて出版してくださることになった。いよいよまとめて読み直してみると、私というものの欠点がよく現われていてまことに恥ずかしいが、これも偽らぬ荒野の生活記録として世の批判を受けねばならぬものであろう。戦災者はいま戦災の破れ衣を脱いで新しい平和の服に着がえようとしている。私も今この書をぬけがらのごとく痛ましい野に残しておいて、新しい最後の生活に入ろうとおもう。それは追憶の生活でなく再建の生活であり、それは悲嘆の生活でなく希望の生活でありたい。
 いま私の心を占めているのは「神のご光栄のために」という一念である。私はすでに廃人であるから大きな奉仕はできないかもしれぬ。しかしこの細りゆく生命をただこの一念に燃やして最後の瞬間まで神に仕えたい。毎日曜日の朝、中田神父様の奉持なさるご聖体は、かたじけなくも私を訪れ、私と一致し、私に無限の力を与えてくださる。私自身は全く無力である。しかし拝領したご聖体のおん力によって神のご光栄を賛美する仕事がきっとできると信じている。
 原稿を清書したのは吉田イサエさんである。
 知る人知らぬお方、この小さな私のために力を添えてくださったすべてのお方に感謝し、神の祝福の豊かに下らんことを祈って。

昭和二十三年三月二十五日
長崎浦上の住人
永井隆
[#改丁]

ロザリオの鎖



 私が結婚したのは大学を出て三年目で、当時助手として月給四十円であった。満州事変のころで物価は安かったが、それにしても四十円で一家のやりくりをつけることは苦しかったであろう。しかし私は一度も妻から苦情を聞かなかった。着物一枚新しく買ってやらなかった。劇場へ行ったこともない。料理屋へ二人で食いに行ったこともない。遊楽といえば一年に一日海に行ったくらいのことだろう。私は毎日夜に入るまで研究室にこもっていたし、妻は家事にいそしんでいた。月四十円の生活は七年つづいた。
 家族の衣類はみな妻の手製だった。私のくつしたからワイシャツ、オーバーに至るまで妻がこつこつ丹念に仕立てたものだった。それを見て研究室の女の子が「先生は昼間も奥さまから抱かれているのね」と言った。
 妻は白粉をつけなかった。パリーの口紅でもイタリーの香水でも手がるに買えるころであった。そして町には有閑夫人と称する階級がのさばっている時代であった。食糧だって腐って捨てるほどあった。妻は晴れた日には肥おけを担って畑に働き、雨の日には縫い物や編物に手を休めなかった。そして浦上十八ヶ町の婦人会連合班長の忙しい役も果たしていた。その上、私の妻という仕事、半狂人の世話もせねばならなかったのである。
 一つの新しい研究にとりかかると、私の人間…

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