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どら猫観察記
どらねこかんさつき
作品ID54905
著者柳田 国男
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆3 猫」 作品社
1982(昭和57)年12月25日
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2013-01-25 / 2014-09-16
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 瑞西に住む友人の家では、或日語学の教師の老婦人が、変な泣顔をして遣って来たそうである。市の蓄犬税が三割とか、引上げられるという際であった。私たちの生活では、とても今度のような税は払うことが出来ません。是迄は無理をして育てて居たけれども、もう仕方が無いから今朝役所へ連れて行きましたと謂って、又大いに涙をこぼしたそうである。
 役所というのは犬殺し局のことであった。税を払わぬ犬は東京などとは違って、一匹だって存在し得る余地が無いのである。仮に殺さぬことにしたならば街頭に沢山、餓死した犬を見掛けねばならぬ。野ら犬という言葉がもう一寸説明の六つかしい迄に、犬の文明も進んで居るのであるが、それにしてはジュネェブなどには、町で見かける犬の数が多かった。
 一人者が犬を飼って居る例が多い。犬と話をして居る老人などをよく見ることがあった。五階三階の窓から顔を出して、吠えもせずに通行人を眺めて居る犬を、幾らも見るような社会であった。雨の晴間などに大急ぎで、犬の為に散歩をして遣るという実状である。たまたま一人で外出した時などは、まごまごとして入口で待って居るのが、殊にふびんに思われると謂って居る。旅行や病気の際には、飼犬を預けて置く下宿屋のようなものもあるが、物入りでもあり且つ心もと無いから、成るだけ旅はせぬようにして居る。
 そんなら猫はどうであるかと気をつけて見ると、先ず第一に蓄猫税は無い。それだのに人に飼われて居る数が、著しく犬よりも少ないように思われた。日本でも既に認められる如く、犬は人の家来であるが、猫の方は本当の家畜である。住宅の附属物である。鍵をかけて出入をするようになれば、猫だけを残して家を空けることは困難である。そうして鼠を駆除するには他にも方法が新たに備わった。一般に人間は猫を疎遠にする傾向を示して居る。
 女三の宮や命婦のおもとの有名な逸話は、程なく解し難い昔語りになって行くかも知れぬ。我々の国でも猫を可愛がり過ぎると、鼠を捕らぬようになるからと称して、あわびの殻の日を重ねて空虚であることを、念頭に置かぬような主人も多くなった。市中には鳶や烏の来訪が絶無となり、轢き潰された鼠の久しく横たわって居るのを見ても、猫の食物の自由にして又豊富なることは想像せられる。猫は我々の愛護なくして、幾らでも生存し得るのである。人と猫との間柄の次第に[#挿絵]離して行くのは当然である。



 ヴェネチヤの水の都で、ダニエリの旅館に久しく遊んで居た頃、番頭が何処かのおばあさんに話して居るのを聴くと、此宿の地下室はどら猫の多く居るので有名だそうである。妙な事を看板にしたもので、ホテルで呉れる小冊子にも、此事が興味多く記してある。御希望ならば御案内をしますとも書いて居る。ヴェネチヤの穴倉ならば、大抵どの位湿気て居るかも想像し得られるが、その暗い処に何十代以来とも知らず、…

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