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同一事件
どういつじけん |
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作品ID | 54910 |
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原題 | A CASE OF IDENTITY |
著者 | ドイル アーサー・コナン Ⓦ |
翻訳者 | 大久保 ゆう Ⓦ / 加藤 朝鳥 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
入力者 | 大久保ゆう |
校正者 | |
公開 / 更新 | 2012-04-05 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 33 ページ(500字/頁で計算) |
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「いいかね。」とシャーロック・ホームズは、ベイカー街の下宿でふたり暖炉を囲み、向き合っているときに言い出した。「現実とは、人の頭の生み出す何物よりも、限りなく奇妙なものなのだ。我々は、ありようが実に普通極まりないものを、真面目に取り合おうとはしない。しかしその者たちが手を繋いで窓から飛び立ち、この大都会を旋回して、そっと屋根を外し、なかを覗いてみれば、起こっているのは奇怪なること――そう、妙に同時多発する事象、謀りごとにせめぎ合い、数々の出来事が不思議にもつながり合って、時を越えてうごめき、途轍もない決着を見せるとなれば、いかなる作り話も月並みなもので、見え透いた結びがあるだけの在り来たりの無益なものとなろう。」
「そうはいっても納得しかねるね。」と私は答える。「新聞紙上で明るみに出る事実なんて、大抵が実にそっけなく実に卑しい。モノを見てもだ、警察の調書などでは写実主義が限界まで貫かれているにもかかわらず、出来上がるものにはまったくのところ、魅力もなければ芸もない。」
「それなりの取捨選択を用いねば真実味は生み出し得ない。」とはホームズの御説だ。「これが警察の調書には欠けている。ことによると細部よりも治安判事の戯れ言に重点を置く。細部にこそ、観察に値する事件全体の核心が含まれている。信じていい、普通なるものほど不自然なことはない。」
私は笑みを漏らし首を振って、「君がそう考えるのもわからないではないよ。そら君の立場としては、三大陸じゅうにいる考えあぐねた人々、その皆の私的相談屋・お助け屋であるわけだから、奇妙奇天烈なあらゆることに関わり合う羽目にもなる。しかしまあ、」――と床から朝刊を取り上げて――「ここらで実地に試してみよう。とりあえず目に付いた見出しはこうだ。『妻に対する夫の虐待』、段の半分にわたる記事だが読まんでもわかる。まったくよくある話に決まってる。ほら、他に女が居て、酒に喧嘩、薬に生傷、世話焼きな妹か女家主。いくらヘボ文士でも、これほどヘボなものは書けんよ。」
「ふむ、この例は君の説に不適切だ。」とホームズは新聞を取り上げ、目を落としながら言う。「これはダンダス夫妻の別居訴訟と言って、あいにく僕もこの件の謎解きに少しばかり噛んでいる。この夫はまったく酒を飲まず、他に女もいない。訴えられた行状というのが、食事の終わるたび入れ歯を外して妻に投げつける、そんなふうにずるずるとなっていったというものだ。わかるだろう、これは凡百の語り部の想像に浮かびそうな行為ではない。嗅煙草でもやりたまえ、博士、そして自分の引いた例でやりこめられたと認めることだ。」
と差し出された古金色の嗅煙草入れ、蓋の中央には大粒の紫水晶、その見事さが友人の質素な暮らしぶりとあまりに対照的であったため、口を挟まずにはいられなかった。
ホームズは、「ああ、忘れていた、君は数週間ぶり…