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芳賀先生と日本主義
はがせんせいとにほんしゅぎ
作品ID54996
著者高橋 竜雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「近代作家追悼文集成 第二十一巻」 ゆまに書房
1992(平成4)年12月8日
初出「芳賀先生」國學院大学院友会、1927(昭和2)年4月20日
入力者岩澤秀紀
校正者きゅうり
公開 / 更新2019-02-06 / 2019-01-29
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 國學院大學の學長として母校の爲にいひ知れぬ恩惠を與へられたことは、定めて他の院友諸兄が書かれることであらうとおもふので、私は博士が國學院にまだ御關係のなかつた時代、即ち「日本主義」時代のことを述べて、博士の高徳を追慕したいのです。
「日本主義」といふ言葉は、實に「日本主義」といふ雜誌が出てからのことだ。この雜誌は明治三十年五月に開發社(湯本武比古先生社長)から發刊された。題號を「新神道」としようか、「日本主義」としようか、といふ議論があつたのだが、「日本主義」といふことに決定したのは、芳賀博士の説が與つて力があつた爲だといふことです。
「日本主義」を起した人々は、芳賀博士、上田萬年博士、元良勇次郎博士、井上哲次郎博士、湯本武比古先生、高山林次郎氏、木村鷹太郎氏、藏原惟廓氏などであり、第一號より第十七號までは、竹内楠三氏が編輯主任であつたが、第十八號から私が編輯助手として入り、第二十四號以來全く私が編輯主任として、牛込新小川町の寓居に「大日本協會」の看板を掲げた。資本家は岡崎遠光君で、開發社から離れて獨立することゝなつた。併しその主義綱目は決して變らない。今之を見ると、明治三十年頃と今日昭和の時代と少しもかはつてゐないやうに思ふ。それといふのは、「日本主義」の目的及綱目が、今日もなほ適切である。即ち
   日本主義
    目的
一日本建國ノ精神ヲ發揮ス
    綱目
一國祖ヲ崇拜ス
一光明ヲ旨トス
一生々ヲ尚ブ
一精神ノ圓滿ナル發達ヲ期ス
一社會的生活ヲ重ンズ
一國民的團結ヲ重ンズ
一武ヲ尚ブ
一世界ノ平和ヲ期ス
一人類的情誼ノ發達ヲ期ス
大日本協會
といふのである。明治三十年頃「社會的生活」とか、「人類的情誼」とかいふのは、大變ハイカツタ言葉であつた。併しその一大目的、十大綱目は、今日の時代にむしろ切實である。而して恐らくは永久に必要であらう。
 芳賀博士の不朽の著「國民性十論」の如きは、即ち日本主義そのものを説述せられたのである。昔は日清戰役後、國家的自覺心の唱道の爲に必要であつたが、今日は外來思想の惡化が烈しくなるにつれて、「日本主義」の唱導が更に必要になつてきた。
 私が「日本主義」を編輯するやうになつてから、いつも御厄介を願つたのは芳賀博士であつた。それに原稿が足りないと、いつも博士に無理を言つて御願ひしたものだ。私の手許に殘つてゐる博士の手紙(毛筆で書かれた)を見ると、次のやうな文句が書かれてある。
拜啓。文學史十講御一讀被成候由、御過賞にあつかり、恐縮の至に御座候。實は忽卒の演説にて、おもひあやまりたる處もあり、今更慙愧に堪へざる點多々有之、再板の節改めたき考に御座候。さて明治文學の一節、日本主義へ御掲載云々の御來旨、拜承いたし候。然る處、右にも少々誤字等も有之、花柳春話とあるべきを、花柳餘情と記憶の誤等も有之候間、御出し相成候節には、一應原…

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