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金歯
きんば
作品ID54999
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「定本小川未明童話全集 11」 講談社
1977(昭和52)年9月10日
初出「文芸」1935(昭和10)年3月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者酒井裕二
公開 / 更新2016-11-15 / 2016-10-28
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「絵を描きたくたって、絵の具がないんだからな。」
 あまり欠乏しているのが、なんだか自分ながら、滑稽に感じたので、令二は笑いました。
「いくらあったら、その絵の具が買えます。」
「さあ、ホワイトはなかった、それにグリーンもないと、まあ三円はいりますね。」
「もし、それくらいでいいのなら、私が、どうかして、こしらえてあげますよ。」
 母親は、年のせいか、日の光が恋しいので、縁側の方に、小さな背中を向けて、答えました。
「なに、いますぐ描かなくたっていいんです。」
 令二は、気の弱い母をいじめて、すまなかったと、淋しい気がしました。
 そばで、一心にセーターを編んでいた、姉のさき子は、
「そんなこと口に出さなければ、いいじゃないか。」と、弟を上目でにらみました。
「描きたいから、描きたいといったのだ。」
 こんどは弟が、口をとがらして姉をにらんだ。
「なんだ、そのかばのような顔は?」
「なんだ、乾しいわしのような目をして。」
 二人が、言い争うと、母は、
「もう、けんかはよしておくれ、明日にでもお金をこしらえてきて絵の具を買ってあげますから。」といいました。
「お母さん、令二にそんなお金をおやりなさるなら、私にも毛糸を買ってちょうだいよ。」
「おまえたちは、お母さんに、どうしてそんなお金があると思えるの。」
「お母さん、僕はいりませんよ。なに、デッサンさえ、やっていれば、金なんか、かかりませんから。」
「私、とれた金歯を売ってこようかと思っているのです。新聞の広告を見ると、金ならなんでも高く買うと書いてありますから。」
 これを聞くと、二人は、さすがにひどく打たれたように顔を見合ったが、さき子は、そのまま下を向いて、編み物の棒を動かしていました。独り、令二が、
「お母さん、そんなことをせんで、歯医者へいって、とれたのをつけてもらっていらっしゃいよ。」といいました。
「いえ、私は、このあいだから、そう思っていたのです。それに、あれのないほうがかえって、ものが食べいいのですよ。ただ売ることなどしつけないのに、どんな店がいいだろうか、正直なところへいきたいと思っていたのです。そして、あれを売ったら、なにかおまえたちの喜びそうなものを買ってあげようと、独りで楽しみにしていました。」
 このごろは、まったく砂漠のように、灰色にしか目に映らない家の中にも、小さいながらさんらんとした、金の塊が、隠されているということは、令二にとって、不思議というよりか、むしろ、人生には、つねにこうした矛盾があって、楽しいのだという感じのほうを強からしめたのであるが、これが母の大事な歯であるだけに、あまり朗らかな気持ちにはなれなかったのです。
「歯のないのが、かえってかみいいなんて、そういうことはありませんよ。」
 母の道理に合わない言葉を、令二は、指摘しました。
「いえ、おかしな話だが…

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