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胡堂百話
こどうひゃくわ
作品ID55089
著者野村 胡堂
文字遣い新字新仮名
底本 「胡堂百話」 中公文庫、中央公論社
1981(昭和56)年6月10日
入力者kompass
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2014-04-29 / 2014-09-16
長さの目安約 253 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

石川啄木

 やはり、平次誕生から、はじめなければ、ならないかも知れない。
 が、それは、あまりにも書きすぎた。いずれは触れることとして、ここではまず、古い友人たちから筆を起こそう。
 県立盛岡中学……つい一月ほど前、「わが母校わが故郷」とかいうテレビの番組に登場したので、午後九時絶対就寝の私も、この日ばかりは大いに奮発して、夜の十一時まで、眼をあけていたが、昔は、あんな立派な校舎ではなかった。
 木造の、少々よぼよぼした教室から、雨天体操場へ廊下つづきになっている。そのうす黒い羽目板の下を歩いていると、うしろから肩を叩いたやつがある。振り返るとクラスメイトの及川古志郎だ。
 及川は、のちに海軍大将になったが、当時は文学青年で、妙に新しがった短歌なんぞをいじくっていた。
 その及川が、ニヤリとして、
「野村。お前に、こいつを紹介するよ。石川といって、一年下だが、何か書いているそうだ。見てやってくれないか」
 みると、及川の横に、こまっちゃくれた少年がいる。私も、及川も、身体は大きい方だったが、それにくらべると、三分の一もないくらいで、骨組みや腕ッ節になる養分が、ことごとく知恵の方へ回ったという顔をしていた。これが、石川啄木との、初対面だった。
 その時、直してやった新体詩は、字句は忘れたが、正直なところ、おそろしく下手くそだな、と思った。後年、あんなに有名になろうとは、もちろん、夢にも考えなかった。
 しかし、これが縁で、一緒に校友会雑誌の編集をやったり、家へ遊びに行ったり、来たりした。啄木の父親は、内気のように見えて、不思議に気概のある顔をしており、母親は口数も少く、何時もひかえ目に、すわっていた。
 啄木の友人も、年々すくなくなり、今では金田一京助博士をはじめ、片手の指にも足りないだろう。啄木という男は、社会人としては、厄介な人間であった。ほら吹きで、ぜいたくで、大言壮語するくせがあり、まことにつき合いにくかったが、その半面、無類の魅力を持った人間でもあったのである。おしゃれで、気軽で、少し陽気すぎるほどで、そして何よりも美少年であった。異性の友人を吸いよせただけでなく、のちには啄木と絶交した人たちも、一度は彼の不思議な魅力に傾倒していたはずである。
 その上、啄木の才能は非凡であった。中学二、三年までは秀才中の秀才であり、その後は文学少年らしい怠け者になってしまったにもかかわらず、英語も相当読みこなすし、ヴァクナーからメレジュコフスキーに入り、さらにクロポトキンへ歩んだことは、彼の遺した大学ノートに明らかである。
 私が卒業して東京へ出ると、あとを追うように啄木も上京した。そして二度目の交際がはじまった。彼は歌は作るが俳句は駄目。こっちは俳句に没頭して、歌を相手にしないから、芸術論などたたかわせた覚えはないが、それでも可なり交渉があった証拠には、啄木の…

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