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天皇と競馬
てんのうとけいば
作品ID55099
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻80 競馬」 作品社
1997(平成9)年10月25日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2013-06-11 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 五月五日には天皇賞レースがある。淀競馬場は沸くだろう。日本のクラシック・レースでも最長距離の力戦である。
 天皇賞レースには、御紋章づきの楯が授与されるが、陛下が競馬場へおいでになったことはない。
 なぜだろうか。側近の思案もあろうし、陛下御自身の好き嫌いもおありだろう。もし、両陛下とも“見ず嫌い”でいらっしゃるなら、ぜひ一度は御覧ねがいたい。また、側近も、考え直して欲しいとおもう。
 明治天皇は、よほど競馬がお好きであった。春秋の横浜根岸競馬へは、前後十八回も行幸になった。横浜じゅうは、ロンドン市民がダービーに熱するみたいな他愛なさと国際色に雑鬧する。鹵簿はたしかオープンの三頭立て馬車で、道幅せまい相沢の貧民街も通ってゆく。
 その両側に、ぼくら小学生も立ち並んだことがある。みんなで紙旗を打振るのが、鹵簿の車輪やお体にも触れるほどだった。白い手袋とニコニコしたお顔が、小学生や貧民街の人々や競馬ファンにこたえて行かれた。
 ああしたオープンな陛下の姿は、以後、絶対に庶民の眼から遠ざかった。思い出すと、その日のみは、陛下も、ファンのおひとりだった。明治天皇が、わけても民情に通じておられたのも、偶然ではない。
 競馬は、宮廷が最初の主催者である。奈良朝の文武帝に始まるというから、仏教と前後して渡った事かもしれぬ。聖武帝と光明皇后。また、代々の天皇、春宮、上皇、女院、藤壺ノ君などが、群集と共に、笑みを並べて競馬を見る――そんな絵画的想像もわく。
 わけて、平安期の末期には、年表にも「天皇、皇后、競馬を覧給ふ」の項が随所に多い。神泉苑の競馬、仁和寺の競馬、加茂の競馬、時には、公卿の邸地でも、都の大路でも、臨時競馬をやった。
 すべて直線コースで、今の千二百メートルぐらいがせいぜいであったらしい。騎手は、朝臣たちだ。中には、負けたくやしさに、切腹した者もある。
「賭物貢ノ式」というのが、春と秋に、宮中で行われる。天皇の前で、負け組から勝組へ、罰として“貢”を贈る儀式である。あとは無礼講となり、敵味方、勝敗を忘れて、大らかに飲み遊ぶ。
 いったいに、その頃は、賭け事を、そう危険視や不潔視していなかったようである。僧侶をあいてに天皇が、賭け碁をしたりしておいでになる。
 とにかく、競馬場には、素裸な庶民が、終日、他愛もなく渦まいている。偽似君子でなければ、この中にも人間の真を見出すであろう。本来の人間とは、何と愛すべき生態で、そして無邪気なものか。いろいろな人間図、本能図、可憐なる家族図なども、御覧になれることとおもう。馬は見給わずとも、いちどは、おいでになる価値はあろう。



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