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避病院
ひびょういん
作品ID55162
著者正宗 白鳥
文字遣い旧字旧仮名
底本 「正宗白鳥全集第六卷」 福武書店
1984(昭和59)年1月30日
初出「早稲田文学 第百三十一号」早稲田文学社、1916(大正5)年10月1日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者山村信一郎
公開 / 更新2014-11-08 / 2014-10-13
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 町村の自治制が敷かれてから間もないころであつた。私の父は選ばれて村長になつた。父の性質としてかういふ煩い役務は好まなかつたのであるが、人物に乏しい僻村では他に適當な候補者が見つからないので、據所なく選ばれ據所なく承諾したのらしかつた。
 名譽職だといふので、しるしだけの俸給に甘んじて、終日出勤して、五つの字の合した廣い村の面倒な事務を執つてゐた。父の一身が忙しくなつたのみならず、私の家庭に用事が多くなつて、祖母や母も困つてゐた。父の歸宅が遲くなることもあるし、屡々人を招いて酒食を饗することもあつた。
 自由黨の壯士が私の村にまで來て演説會を開いた時、演説といふものはどんなものかといふ好寄心から、私は戸の外で立ち聞きしたのであつたが、その題目は郡長攻撃の次に村長攻撃であつた。近村に傳染病があるから、この秋の祭禮には神輿を出して騷いだりすることを禁ずるといふ父の方針が口汚なく攻撃されてゐた。若い漁夫どもは鼻を鳴らして悦しさうにその演説を聞いてゐた。「尤も/\。」「よう/\出來ました。」などゝ褒めてゐるものもあつた。
 私は驅けて歸つて、演説の筋を話したが、父は微笑しただけで何にも云はなかつた。
「錢を出してそんな演説をして貰ふてもあかんこつちや。」と、祖母は村の者の愚かなことをぶつ/\云つてゐた。

 神輿のない祭禮は淋しかつた。字によつて組をつくつてゐる若い衆連が、互ひに他に劣らぬやうに寄附金を集めて、神輿を飾つて練り廻るのは、盆の踊りにも勝つて、年中行事の第一の賑ひになつてゐたので、これを差し留められるのは、彼等が縮緬の犢鼻褌など買つて、久し振りに沖から歸つて來る時の樂みを奪はれるやうなものであつた。
 が、その代りに飮み食ひや賭博は例よりも盛んであつた。西瓜を食ふな眞桑瓜を食ふな、あるひは章魚が惡い生水が危險だとかいふやうな訓示が懸廳から村役場や警察の手を經て村々へ傳へられるのを、漁夫どもは謂れのない囈言として聞き流してゐた。先祖代々食つて來た物が腹に惡い譯はないといふ量見だつたが、賭博についても同じやうな考へをもつてゐた。先祖代々やつて來て漁夫の生活には缺くべからざる娯樂になつてゐる遊び事が何故惡いと思つてゐるやうに、廣い村にたつた一人しかゐない巡査の目を免れるくらゐは何でもないことゝして、彼方でも此方でも禁を犯してゐた。村の賭博宿が危くなると舟を沖へ出して惡遊びに耽つた。灣内の小島に新築された避病院をも利用してゐた。
 が、この避病院も何時までも賭博宿にはなつてゐなかつた。隣村に瀰漫してゐた病毒は、祭禮時の暴飮暴食につけ込んで、私の村へも浸染した。そして患者はぼろ舟に乘せられて、海上半里の離れ島へ送られた。
 私は二階の欄干に凭れて、この病人船が埠頭場の纜を解いて、油を流したやうな靜かな初秋の海を辷つて行くのを、恐しい思ひを寄せて見たことがあつた。二…

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