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奇怪な客
きかいなきゃく |
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作品ID | 55167 |
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著者 | 正宗 白鳥 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「正宗白鳥全集第十二卷」 福武書店 1985(昭和60)年7月30日 |
初出 | 「サンデー毎日 第七年第二十七号」毎日新聞社、1928(昭和3)年6月15日 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 山村信一郎 |
公開 / 更新 | 2013-08-17 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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こんな珍しい話がありますよ。
あるホテルであつたことですがね。ある晩、そのホテルの帳場へ、築地の吉田といふ待合から電話が掛つて、「今夜わたしとこのお客がそちらへ行くから、泊めてくれないか。」といふんです。「何といふ方だ。」ときくと、名前は今いへないといふ返事なので、それぢや困ると、ホテルでは一先づ斷つたのでした。それで、もしも、さういふ變な客が來たら、泊めないことにしようと、ホテルではきめて、夜勤の者にさういひ含めて置いたのです。ところが、かういふ宿屋に勤めてゐる人間のうちにも、薄ボンヤリした者が、一人や二人はあるもので、その晩の夜勤者が、不注意にも、その問題のお客を泊めることになつたのです。帽子を深々とかぶつて、顏ぢゆうをマスクで蔽うた、一目で變な人間と思はれるお客が、やす/\と關所を通り拔けて、上等の客室へ收りました。
ところが、その客は、部屋へ入ると、それつきり誰にも顏を見せない。部屋にゐる間は錠をおろしてボーイを内へ入れないし、外へ出る時には、朝早くか、夜遲くか、人目の薄い時を見て、例の帽子とマスクで顏を隱して、弓を離れた矢のやうに、サツと飛び出すのです。ある時、どうしたはずみか戸が少し開いてゐたのでボーイがこの時こそと、中へ入つて行くと、寢床にゐたお客は慌てゝ毛布を頭からかぶつて動かない。さういふ譯で、部屋附きのボーイも、一度も客の顏を見ることが出來ないし、無論訪問者は一人もない。
時としては、二日も部屋に籠つて、一歩も外へ出る樣子がないので、ボーイが氣遣つて、たび/\ノツクするんですが、全然答へがない。それで、食事は、ホテルの食物は一度も食べないから、何を食べてるのかと、不在中に部屋をよくさぐつて見ると、チヨコレートの屑と蜜柑の皮とが散らばつてゐる。それから、不思議なのは、チヨツキや肌着なんかゞ、一二度着たばかりの新しいのが、毎日のやうに屑籠へ突込まれてゐる。
どうもあたりまへの人間ぢやなさゝうだ。精神病者かも知れない。……もしも自殺でもされちや大變だから、早く出て行つて貰はう。それには最初この客を入れた夜勤者に責任があるんだから、責任者に斷らせることにしようといふことになつて、その男も、いやとはいへなくつて、おつかなびつくりで部屋へ出掛けて、合鍵で開けて入ることは入つたが、さうすると、お客は、飛鳥の如く部屋を飛び出して、どこかへ行つちまふんです。……それで、一度不在中に、部屋の中からロツクして、開かないやうにして置くと、お客は夜遲く歸つて來て、戸口で、「開けて下さい開けて下さい。」と嘆願するんです。
どうも始末におへない。しかし、打遣つとく譯には行かないので、前納されてゐる宿料が一週間で盡きた時分に、ホテルのある勇敢なる事務員が、強制的追ひ立てを試みるつもりで出掛けて行きました。
やはり合鍵で開けて入つて見ると、客は、部屋の中でゞ…