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ダルマ船日記
ダルマせんにっき
作品ID55183
著者山之口 貘
文字遣い新字新仮名
底本 「山之口貘詩文集」 講談社文芸文庫、講談社
1999(平成11)年5月10日
初出「中央公論」中央公論社、1937(昭和12)年12月号
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2014-01-12 / 2014-09-16
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

×月×日 金
 眼を覚ましてみると、側に寝ていた筈の六さんの姿は見えなかった。
 居候のくせに、なぜこうも寝坊するのであろうか。
 桝のような船室から首を出して、甲板を見廻わすと、既に、七輪の薬罐が湯気を吹きあげていた。

 この船の名は、水神丸。積載量百トン。型は、通称ダルマと言っている。年齢は、三十五歳。生れは深川。
 まるで、老人みたいな風貌だ。無数の皺の合間合間には、鉄錆びが汚みついている。艫には船室があって、三畳敷位。そこに船頭さんと僕とが一緒に暮らしている。その他、押入が一間と、それに向い合って神棚があり、押入の下には、古道具屋のように炊事道具など一杯詰まっている。それから、片方の壁には蝶ネクタイと背広の上下を掛けてある。それは僕のではなく六さんの外着である。六さんとは、即ち、このダルマ水神丸の船頭さんなのである。

 どこにいても、僕にとって一番の不便は、先ず、放尿の場合である。折角、出かかっている小便でも、身辺に人の跫音がきこえると、直ぐに中途で引っ込んでしまう。だから街を歩いている時など、僕は他人のようにあっさりとは立ち小便の出来ない質である。これだけは、動物みたいな僕にも似合わず殊勝なことだと思えば思えるのである。とは言え、そのことの不便は、乗船以来一日も欠かさず僕を苦しめているのだ。堪え切れなくなると、陸に這い上り、人の気配を避けた横丁を物色して僕は用を足さねばならないのだ。
 なおさら、困まるのは糞の始末である。その始末方法に就ては、六さんが彼の実地を以て、或る夜、説明付で僕に教えるのだった。こんな風にするんだと言いながら、彼はまくりあげて船端にしゃがんで見せた。そうして、片方の手をさしのべて鉤のように舷の内枠にかけ、片方の手は股の間に入れるのだった。その手はなんだと訊くと、船に小便をひっかけてはいかぬから、こうしてあれを川面の方へ押し向けて置くのだと言うのであった。僕は、教えられた通りのポーズをして、暫らくはしゃがんでいたのである。
 ところがここはまるっきり、便所の中とは世界が違っていた。僕には、総ての物が眼の球のある物のように思われ、しゃがんでいる真下の水の音までが気になり出して、一向落ち着くことが出来なかった。僕は幾度も幾度も、水の音だから構うもんかというように自分に言いきかせては思い力み、努めて平気な面を装うて下腹に力をいれたりするんだが、そのうちに曳船のポンポンの音がきこえて来て、ついに目的を果すことが出来なかった。どうしても駄目なんだ。と、六さんに僕は訴えたが、六さんに言わせると、人間じゃないというのだった。
 事実、この世界の生活者達は、老若男女、夜であろうがひるまだろうが、僕みたいな者が物珍らしく見ていようが、生理のためには、悠々と船端にしゃがんでいる彼等である。いつになったら僕も便秘をしなくなるだろう。

 水神丸…

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