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素材
そざい |
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作品ID | 55185 |
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著者 | 正宗 白鳥 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「正宗白鳥全集第十二卷」 福武書店 1985(昭和60)年7月30日 |
初出 | 「文芸日本 第一巻第四号」文芸日本社、1925(大正14)年7月1日 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 山村信一郎 |
公開 / 更新 | 2013-08-31 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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私は發表する當てのないのに物を書いたことはない。また材料を得るために旅行をしたり讀書したりしたことはない。雜誌などに頼まれて何か書かうとして机に向つて筆を採つてから、さて材料はどれにしようかと考へるのである。
さうすると、いろ/\な材料が頭に浮んで來る。幾十となく思ひ浮ぶ。生きてゐる限り材料の缺乏に苦しむことはない譯なのだ。自分自身の生涯については云ふまでもなく、肉親縁者の事、近隣の男女の事、ピン/\跳ねてゐるやうな生々した人生の姿が次から次へと眼前に浮んで、どれを捉へて來ようかと迷ふほどであるが、さていよ/\その一つを取つて、一篇の人生圖を描かうとすると駄目だ。二三行書くと、ぴたりと行き詰まつてしまふ。頭の中では生きてゐた者が萎びて、書き續けると死んでしまひさうになる。いゝ材料ほど六ヶしい。數十年の文學修業の甲斐のないのに何時も歎息される。
それで、例によつて例の如き型通りのものを、不承々々に書いて、書き上げたあとで、作者自身詰まらない思ひをして、依頼者や讀者に對して氣の毒な思ひがするのである。今度も「文藝日本」の依頼を、今日中に果たさうとして、朝から齷齪してゐるのだが、材料に迷ふばかりで、題目とペンネームとだけを書いては棄て/\して時を過してゐた。書けないから、何時ものくせで、寢ころんで手あたり次第に本を讀んだり雜誌を讀んだりした。
チエホフなら、あゝいふちよつとした事でも、面白い小品に纏めるのだらうなと、汚れた天井を仰ぎながら、私は旅中のある光景を思ひ出した。
それは、この春故郷へ歸つた時、汽車の中で見た小さな事であつた。
汽車が兵庫から海の見える方へ向つて進んでゐる間に、私は昔須磨驛の近くの踏切に建てられてあつた「ちよつと待て」といふ自殺豫防の制札がまだあるのか知らと窓外に目を注いでゐた。「一枝切らば一指を切るべし。」といふ辨慶の制札を思ひ出して、詰まらない興味をも起したりしてゐたが、そこへ、車掌が切符改めに來たので、棚の上の帽子をおろして、そこへ挾んでゐた青切符を取り出した。
「此處は二等室です。」と、車掌が云つて、「ぢや三等へ行きますわ。」と、若い女が云つたのが、私の耳に聞えたので、私は今まで氣のつかなかつたその女の方を見やつた。
若い女は相當な服裝をしてゐたが、平氣でさう云つて、急がず騷がず私たちの前を通つて三等室へ行つた。
切符改めが濟むと、中老の田舍紳士が眼鏡越しに上目を使つて、隣の客に向つて、
「圖太い女ですなあ。大阪から乘つたのですよ。あゝいふことには馴れてると見えて平氣なものだ。」
「増し錢を取られるんでせう。」
「なあに、若い女だから車掌も見逃がしてやるんでさ。我我だつたらあゝ簡單に濟ましちや呉れませんよ。」
あたりの客は、その紳士の方へ目を向けて、その話に同感してゐるやうな顏付をした。
「わたしは昨年越後の方へ商…