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心の故郷
こころのふるさと
作品ID55189
著者正宗 白鳥
文字遣い旧字旧仮名
底本 「日本の名随筆13 心」 作品社
1984(昭和59)年2月25日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2013-01-01 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 暮れに、私の家の近所を散歩してゐると、東京工業大學の門前でカミュの『誤解』上演と記されたお粗末な紙看板が目にとまつた。演劇部と記されてゐるので、この學校にでも芝居なんかやる學生があるのかと不思議に思つた。私は學校芝居は殆んど見たことはないし、見ようと思つたこともなかつたのだが、カミュの戯曲『誤解』は、なにかの雜誌に出てゐた飜譯で讀んで、ひどく面白く感じたことがあつたので、その上演をちよつとでものぞいて見ようかと思ひついた。それで、開演時刻を見はからつて、まだ一度も入つたことのない校内へ入つて、演劇場へ入ると、豫想通り、見物は幾人も來てゐなかつた。幕開き間際に、この學校の學生と覺しき學生が、興もなげに入つて來て席を埋めるだけであつた。
 幕が開いても、演劇光景は出現しなかつた。役者の聲が低くつて、私の耳にはよく聞き取れないので、舞臺近くまで進んで、全心をそちらへ注いで、演技の足らざるところを、自分で補ふ氣持で見てゐると、多少のもどかしさ、齒がゆさを感じながら、しまひまで面白く見續けた。見終つて、心に一種の刺戟を感じた。舞臺監督もなかつたらしく、たゞこの戯曲の飜譯語を、日常の言葉通りに口に出してゐるだけのやうで、これは演劇以前であつて、この程度なら、だれでもやれさうである。もつと強い聲を出したらいゝではないか、もつと活溌に動いたらいゝではないかと思はれたが、この強烈な人間の動搖を、つゝましやかに、ナイーヴにいつてゐるところに、實世界の人間を、私の心に描かせるゆゑんともなつたのである。
 旅館の主婦とその娘とは、彼らの故郷のごとくなつてゐるこの陰鬱な、いやでいやでたまらない土地に何十年も住んでゐるのにたへかね、さんさんたる太陽の光あまねく潮の香の豐かな南方の海濱に居を移さんと熱望し、その望みを遂げるための費用を獲得するため、宿泊者を殺して財を奪つてゐたので、偶然泊り合はせた實の息子、實の兄をも、それと知らずに殺すのが、一篇の主眼で、日本のふるい講談や、ふるい芝居にありさうな話であるが、表面の筋立てはさういふふうであつても、底深い人間心理がそこにきびしく漂つてゐるやうで、私はこんな筋立ての、こんな芝居に異樣な魅力が感ぜられたのである。永遠の生命を呪詛する氣持と、永遠の生命に殉じて甘んずる氣持を、この舞臺に見ながら、ひとり合點で描いて、盡くるところ知らない思ひをした。
 一座の青年達は、どんなつもりでこんな變な舶來劇をやる氣になつたのか。老人の私がなんだつてこんな變な芝居に心を打ち込んだのか。新時代人であるあたりの見物人は、こんな芝居にはさしたる感興を覺えないらしく、なかに、泥ぐつをはいた足をあいたイスの上に投げ出して、たばこを吸つてゐるのが二三人ゐた。
 私はまた東京で新年を迎へたのかと思ふと、うんざりするやうになつてゐる。うんざりしながら一生をこゝで終るよりほか…

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