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花より団子
はなよりだんご |
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作品ID | 55191 |
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著者 | 正宗 白鳥 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆65 桜」 作品社 1988(昭和63)年3月25日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2013-01-16 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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洗足池畔の私の家の向ひは、東京近郊の桜の名所である。私は、終戦の前年軽井沢に疎開して以来十数年間、毎月一度は必ず上京してゐたが、盛りの短い桜時には、一度も来合せたことはなかつた。この頃、こゝに居を定めることになつたので、久振りに花の盛りを朝夕たつぷり見ることが出来た。急速に温くなつたので、見る/\咲揃ふやうになつた。「細雪」のなかの或女性は、花のなかでは何が好きかと訊かれて、「それは桜やわ」と答へた。たべ物としての魚類のうちでは何が好きかと訊かれて、それは鯛であると答へた。日本人としての平均した好みはさういふところなのだらう。瀬戸内海沿岸に生れた私は、幼い時分、最もうまい魚は、鯛の浜焼であると教へられてゐた。捕り立ての鯛を、浜辺の塩がまで蒸し焼きにしたのが、人類最上の美食であるやうに、傍からの入知恵で思はせられてゐた。花は桜であると、子供心に思込まされてゐた。今の私は、三分咲きから五分咲き、満開と、忙しく咲き続け、咲きほこつてゐる一団の桜花を、私の部屋の正面に見ながら、桜は花の王であり、鯛は魚の王であると、早くから教へられたことを思浮べてゐる。そして、これまで見た桜の名所を、次から次へと思出して、閑余の楽みにしようとしたが、歌人詩人などによつて伝統的に折り紙のついてゐる吉野こそ、今なほ日本一ではあるまいかと推察された。私は吉野へは三度も遊んだのであるが、最初が最もよかつた。花も景色も同じ事なのだが、あの頃はまだ、花時にもひどい雑沓はなかつた。飲んだくれが醜態を演じる度合ひがまだ猛烈でなかつた。世が末になるにつれ、二度目三度目と見に行つた時には、いつそ、花の散つたあとの吉野がいゝのぢやないかと思はれたりした。
和歌にも俳句にも、物語にも絵画にも音曲にも、古代から今日まで、桜は讚美の限りを尽されてゐる。新たな讚美の言葉なんか残されてゐさうでない。鯛は魚の王、桜は花の王、獅子は百獣の王、人間は万物の霊長。
「神は天地の主宰にして人は万物の霊長なり」と、私が幼年時代に学んだ最初の読本には書かれてゐた。こんな六ヶしい文章が、意味の説明はされないで、棒読みに読まされ、諳記さゝれてゐたのだが、これはアメリカの小学読本(ウイルソンリーダー)の直訳であつたのださうだ。同時の修身読本には、「酒と煙草は養生に害あり」と云つたやうな訓戒が記されてゐて、六歳七歳の頃の私達は、それを最初の人生教訓のやうに教へられたのであつた。
こんな小学読本修身読本を学校で学ぶ外に、私などは、封建時代の寺子屋の名残りを追はされて、孝経論語孟子などの素読をやらされたのであつたが、後から考へると、それ等の素読の方が、多少は精神の糧になり、後日になつて何かの役に立つたやうなものだ。
ところで、その時分に、作文の稽古もはじめられてゐて、「天長節を祝す」とか、「春季皇霊祭日に山に登るの記」とかの課題で、…