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|  一僧 いっそう | |
| 作品ID | 55217 | 
|---|---|
| 著者 | ツルゲーネフ イワン Ⓦ | 
| 翻訳者 | 上田 敏 Ⓦ | 
| 文字遣い | 旧字旧仮名 | 
| 底本 | 「上田敏全訳詩集」 岩波文庫、岩波書店 1962(昭和37)年12月16日 | 
| 初出 | 「明星 三ノ二」1902(明治35)年8月 | 
| 入力者 | 川山隆 | 
| 校正者 | 岡村和彦 | 
| 公開 / 更新 | 2013-02-12 / 2014-09-16 | 
| 長さの目安 | 約 1 ページ(500字/頁で計算) | 
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 わが知己に一人の僧ありき――世を遁れ、行ひすましぬ。ひたぶるに、祈祷を淨樂として、一念これに醉ひぐれたれば、精舍のつめたき床にたちても、膝より下の、ふくだみて、全身、石柱をあざむくに至るまで、ひるまざりき。すべてのおぼえ、うせぬるまでも、そこに佇みて祈り念じぬ。
 この人の心、われよく識りぬ。こゝろ妬たくさへおもほゆ。彼また吾を解したれば、おのれが悦にえとゞかねばとて、卑しみ果つることつゆなかりき。
 この人は、憎むべき『我』をほろぼしつ。しかはあれど、吾の祈りえざるは、あながちに、唯我のたかぶりあるのみにあらじよ。
 わがもてる『我』は、この人のもてる『我』よりも、更に重くして、更に憎々しかるなり。
 おのれを忘ずる術、かれ、既にみいだしぬ。われもまた、いつも/\といふにあらねど、『我』を脱離する法を悟れり。
 彼は、矯飾の徒にあらず、われまたさにあらじかし。