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普羅句集
ふらくしゅう
作品ID55258
著者前田 普羅
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 95 現代句集」 筑摩書房
1973(昭和48)年9月25日
入力者kompass
校正者小山優子
公開 / 更新2018-04-18 / 2018-03-26
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より





 説明するまでもなく、此の句集を繙かれる時、一句一句に就て私の生活が見出される事であらう。

 今日までの私の俳句生活は二つに分たれる、富山移住前と富山移住後とに。富山移住前の生活は横浜に於ける生活である。何故に其れを横浜時代と云はないか。私の俳句生活その他にも重大なる転機を与へた富山移住を記念するために、しばらく横浜時代の文字を割愛し、心に秘めて愛して居ようと思ふから。

 富山移住前の句は上巻に収めた。下巻は必然的に富山移住後の句が集められて居る。上巻を見ると、世路の術にも、心の鍛錬にも幼かつた私の狂はしき姿を見る、と云つて、下巻には、世路の術心の鍛錬に行き届いた時代の句が収められたと云ふのではない。只、静かに静かに、心ゆくまゝに、降りかゝる大自然の力に身を打ちつけて得た句があると云ふのみである。句を誇るのでなく、心を曝らけ出すのに過ぎない。物ほしさうな世路の術と云ふ事も、心の鍛錬なぞと修道者めいた言葉も忘れ果てた境に生れた句を収めたのみである。

 我等には教へられた宇宙があつた。之れに反し芸術の道は更に新らしい宇宙を創造せんとするワザである。小さい人間が、自の心と身を安定せしめ得るの新宇宙を求むる努力は、げになやみ多き芸術の道であつた。うめき、号泣、肉のさける音、骨の砕くる響、それ等は救を求むるの前ぶれではない。直ちに芸術にたづさはる者の力声である。歓喜の声である。

 何故に、或る人々は此の修羅の道を選ばねばならなかつたか。

 少年の心は、先づ染織学に動いた。それは色彩を採つて現し世の人の上に施し眺め得る魅惑からだ。電気学に心は走せた。新興科学の秘匣は、ボタンの一と押で解釈されさうだと思つたからだ。メスを執る人ともならんとした。生命の不思議はメスの先で発かれると思つたからだ。地質学地形学に心身を投じようともした。地球の肌の長い/\歴史と種々の形相に対する根深い愛着からだ。運命の秘鍵を動植物の細胞に求めんとした。英文学の華麗に目を奪はれた、静冷なる哲学の泉を汲まんとした。又ある時は、文芸の晶華を採らんとして劇に立たんともし、又遠き祖から習練を加へられた血の要求に甘んじ、三味線の誘惑に応じようともした。月光の下には月光に身をなさんとし、花の蔭には花に遷らんと思ふ。此の浮気者は、鮑が之れを笑殺するため、吸ひ着いて居る岩を離れる事の危険をも忘れしむるに充分であつた。

 さまよへるこの広き道辺には、常に寂寞たる俳句への径が口を開いて居た。熱情と之れを押へんとする弱き心とは、終に私をして此の寒苦の雪つもる径を選ばしめた。淋しい径である。人も淋しい径と云ふ。然し、求むるものは随所に与へらるゝの豊さと愛とがある。かつ私には若干の愛書と、家族を容れて余りある古き二張の麻蚊帳と、昼夜清水を吐いて呉れる小泉と、ジヤマン製の強力なる拡大鏡一つとがある。その上…

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