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松本たかし句集
まつもとたかしくしゅう
作品ID55259
著者松本 たかし
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 95 現代句集」 筑摩書房
1973(昭和48)年9月25日
入力者kompass
校正者鴨川佳一郎
公開 / 更新2019-01-05 / 2018-12-24
長さの目安約 26 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



雨音のかむさりにけり虫の宿

 作者が虫の音を静に聞いて居つた。そこへ雨が降り出して来た。その雨が庭木にあたつて、かすかな音をたてゝゐる。さういふ事実からこの句を得るまでの間の、作者の頭の働き具合を考へて見ると興味がある。働き具合と言つたところで別に想を構へるといふのではない。たゞ静にその場合の光景を噛みしめて見て、何といふ言葉で言ひ現はしたなら、その場合の感じが出るであらうと考へた末に、遂に「かむさりにけり」といふ言葉を生み出して、漸く安心した作者の心持が現はれるのである。「かむさりにけり」といふ言葉は、雨の降つて来た時の感じを巧みにうまく表はし得た言葉である。かう言はれてみると、その場合の感じが余蘊なく描れてゐるのである。言葉を見出すのが巧みだとも言へるが、その感じが鋭敏だとも言へる。両者は一にして二ならずといふべきである。

狐火の減る火ばかりとなりにけり

 たかし君の近来の句は、写生の技倆ももとより認むるがその写生にあたつて用ひる言葉が、普通の人よりも一段高いところにあるやうに思ふ。言を換へれば詩的であるやうに思ふ。だから写生句でありながらも、余程空想化された句であるやうに受取れるのである。この句ももう狐火は減る一方になつてしまつたといふ事を言つたのであるが減るといふ動詞に重きを置かずして、減る火といふ名詞の方に重きを置いて叙したといふことが大変技巧的に効果を挙げてゐる。その他「暦売ふるき言の葉まをしけり」とか「大木にして南に片紅葉」とか語法句法の為に作者の異常なる緊張を示してゐる句が沢山ある。この点を特筆せねばならぬと思ふ。

赤く見え青くも見ゆる枯木かな

 枯木は普通に枯木色であつて、十人が十人その色を疑ふものではないが、然しこの作者はその枯木の色を赤くも見、又青くも見たのである。悪く言へば神経衰弱的とも云へよう。よく云へば常人に異る詩人の頭とも云へる。然し兎に角、赤くも見え青くも見えたと云ふことは、この作者にとつては真実なのである。誇張して言つたものでもない。又嘘を言つたものでもない。私達がこの句を読んで、成程然うも見えるのかなアと感じて、愉快に同情が出来るといふのは、その作者が本当のことを大胆に言つたといふ点にあるのである。この句を読んで後、実際の枯木を見て、どうやら赤くも見え青くも見えるといふことが、実際になつて来たやうな心持さへするであらう。それがこの句の力である。

柄を立てゝ吹飛んでくる団扇かな

 この作者は春先から夏になると殊に身体が悪るくなつて、病床に寝たり起きたりしてゐるのであるが、それでゐて覇気は其の弱い身体に包み切れずにある。高山大沢に遊ぶことも出来ず、たゞ病床の些事に興味をそゝられるに過ぎないのであるが、それでもおのづから其の若々しい覇気のあるところが、かういふ句になつて現はれ出たものと思ふ。些細な事柄ではある…

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