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幼少の思ひ出
ようしょうのおもいで |
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作品ID | 55260 |
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著者 | 正宗 白鳥 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆 別巻44 記憶」 作品社 1994(平成6)年10月25日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2013-01-22 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 11 ページ(500字/頁で計算) |
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今から二十年あまりも前の事である。ロンドンからエデインボロウに向ひ、グラスゴーだのリバプールだのを経て、ロンドンへ帰るまでに、沙翁の故郷であつたストラツトフオード・オン・エボンへ立ち寄ることにした。途中の田舎町で、汽車の乗り換へを間違へたりして、まごまごしてゐた。それで、田舎の停車場にゐた学校帰りらしい数人の女学生に、ストラツトフオードへ行くには、どの汽車に乗つたらいゝかと訊くと、「それは今度此処を出る汽車に乗つて、一度乗り換へねばならぬ。」と、一人の女学生が答へて、「何とかさん。」と、仲間の一人を呼んで、「あなたは其方へ帰るのだから、この方に乗り換へを教へて上げなさい。」と云つたやうであつた。その女学生は同意したらしかつた。それで、そちら行きの汽車が来ると、私達夫妻を促してその汽車に乗らせて、自分も乗ることは乗つたが、私達の隣りの車室へ入つて行つた。そして、乗り換へ場所へ来ると、早くプラツトホームへ下りて、私達の下りて行くのを待つて、ストラツトフオード行の汽車を教へて、左様ならの挨拶をして別れた。
これだけの事でも、私達には外国旅行の面白さが感ぜられたのであつた。かの少女は、東洋の黄色人種と座席を共にするのを嫌つてゐたのであつた。極りを悪がつてゐたのであつた。
目差したストラツトフオードに着いたのは、九時頃であつたが、七月はじめの、日の長い季節であつたので、あたりはまだ薄明るかつた。下車客は、私達の外には、中年の女性一人であつた。私はその人に教へられて、シエークスピアハウスとか云ふ宿屋へ入つた。其処には、幾つかの部屋々々に、シエークスピアの作品に取材した壁画が描かれてゐたやうであつた。遊覧季節ではなかつたので、泊り客は甚だ少なく、ひつそりしてゐた。私達は珍しく夜食をたべた。静かな宿でよく眠つて、翌朝はおそく起きて、私は宿屋の入口の階段に立つて、ぼんやりあたりを見てゐたが、すると其処へ、通りがゝりの中年の紳士が足を留めて、「ユーは、シナから来たか、シヤムから来たか。」とたづねた。余計な事を訊きやがると思つたが、為方がない。「日本から。」と簡単に答へた。我は日本人であると云つて見たところで、先方では、日本人を、シナ人以上シヤム人以上と思つてやしないのだから、そんな返事はどうでもいいのであつた。
私達は、予定通り、シエークスピアの生家、夫人ハサウエーの生家、シエークスピアの墓のある寺院や、図書館などを巡覧し、劇場で『ロメオとジユリエツト』を見物し、一シルリング払つて、遊覧船に乗つて、綺麗なエボン河を、二三十分間ほど上り下りしたりして、一日一晩を過した。文豪の故郷でなくつても、一日の清遊に値ひする土地であつた。島村抱月は『沙翁の墓に詣づる記』のなかに、エボン河の舟遊びの事を書いてゐたが、舟中、同乗の紳士淑女と、沙翁の噂をし、互ひに、沙翁の人と作品に関する感…