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梅ちらほら
うめちらほら |
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作品ID | 55263 |
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著者 | 吉川 英治 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「吉川英治全集・47 草思堂随筆」 講談社 1970(昭和45)年6月20日 |
入力者 | 川山隆 |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2013-07-06 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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どこでもいい。それこそ裏町のごみごみした露路越しでも、アパートの窓の干物のそばでも、村でも、野でも、或は、ビルデングの歩廊の壺に挿してあるのでも。
春さき、梅の花を、チラホラ見かける頃ほど、平和と、日本の土の香を、感じるときはない。
私は、梅が好きで、いつか「梅」の随筆を、まとめてみたいと思っている。梅に関する折々の感興や話題を古今に集めたら、たちどころに一冊にはなる。
私のいま住んでいる吉野村も、梅の頃には、全村、梅の花である。いつかリーダーズ・ダイジェストに、終戦の時、村の人が、梅を伐った話を書いたら、すぐ朝日の投書欄へ、村の出身者の抗議文が載った。梅村の住民には、そんな非愛郷心の持ち主はないというのである。それほど、吉野村は、梅の村だ。村の梅窓に机をおく私としても、一部の随筆ぐらいは残しておかないとすまない。
そこで、ちらほら、書いてみる[#「書いてみる」は底本では「書いみる」]。
梅と話す人
梅を画かない日本画家はない。画題として、梅ほど画家に好かれる花はないだろう。古い水墨家では、足利期の一之の梅が私は好きだ。中華には、墨梅の名手が少くないが、日本人の梅はやはり日本の梅である。光琳の梅にいたっては、世界人の審美眼を超えたものといえよう。抱一になって、同じ梅でも、だいぶ香品が下がる。
栖鳳の梅は、雀についで有名である。六人部女史のはなしによると、一生のうち何万枚の梅を描いたかしれませんと云っていた。
毎年、梅の頃になると、翁は、もうろく頭巾をかぶって、湯河原から小田原の梅園まで、必ず梅を写生しに行ったという。それが、死ぬ前の年の冬までつづいたので、さる人が『もうそのお年まで、あんなに梅をお描きになっているのですから、今さら、この寒いのに、御無理をして、写生にお出かけにならなくても良さそうなものじゃありませんか』と、云ってみた。すると、七十八翁は、水涕も氷りそうな中に立って、スケッチしていた筆をとめ、
『何を仰っしゃいます。私が梅にむかって、こうしていると、梅が私に話しかけてくるのです。ただ、梅の枝ぶりや花を写しているわけではありません』
答えると、また梅にむかって、他念なかったということである。
この話の中には、名匠的な精神のうちに、よくいわれる写生の深度という問題がふくまれていておもしろい。
王朝女性と蓮月
萬葉のうちにある梅の歌では、私は、坂上女郎の、
さかづきに梅の花うけて思ふどち
飲みてののちは散らむともよし
が何か心象に沁みてくるような香があってわすれられない。王朝自由主義の中の明るい女性たちが、男どちと打ち交じって、杯を唇にあてている姿が目に見えるようだ。かの女たちの恋愛観もまたこのうちに酌みとれる。
蓮月尼の――鶯は都にいでて留守のまを梅ひとりこそ咲き匂ひけれ――も春昼の寂光をあざ…