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正倉院展を観る
しょうそういんてんをみる
作品ID55267
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「吉川英治全集・47 草思堂随筆」 講談社
1970(昭和45)年6月20日
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-07-16 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ちかごろこんなにみたされた気もちはなかった。正倉院宝物展を見てである。その晩は“咲く花の匂うが如き”とうたわれた千二百年前の天平びとに返った夢でもみるかもしれないと思ったほどだ。
 博物館の第一室では、いきなりあの楽毅論の臨書にふれ、光明皇后その人をじかに見た気がしたのである。華奢高遊の風流天子、聖武天皇のおきさきで、次代孝謙帝のむずかしい政情のころまで皇太后の権をきかせていたお方である。ずっと格はおちるが鎌倉の尼将軍政子とどこか似通っている。博物館の堀江知彦氏がなにかで『いわゆる姉さん女房の型か』といっていた比喩はおもしろい。ゆらい日本の女性は、ひとえに内向的で内気な弱い花といわれてきたが、この藤三娘(藤原氏の三女のいみ)の書の勝ち気で自由奔放なふうは、現代の日本女性にも負けていない。そしてこのような皇后や正倉院宝物のすべてを産んだ世代は、日本の総人口もまだ四百五十八万四千人(僧・行基の調べ)そこそこの土壌でしかなかったことも、あたまにおいて見るべきだろう。
 それと、日本の仏教興隆のあけぼのは、やはりこのような女性の手が大きく受けとっていたこともまた見のがせない。聖武天皇を鼓舞してそれをなさしめたのは麗姿光耀を放つといわれたこの美しいおきさきだった。もしこのひとがなかったら今日の正倉院宝物をかくも現代の下で多くは見られなかったであろう。この企画を「皇太子殿下の御結婚記念」とうたって、第一室にこれをおいた当事者のあたまは見事に全館すべての展列品に効いている。
 とてもいちいちはいいきれないが、会場中央のケースの五弦琵琶のまわりを私はなんど巡りあるいたろう。かりに近世琵琶をこのそばにおいたとして見ると、こうも違うものかと思う。なんについてもいえることだが美術工芸も時とともに堕落と迷いの一方をたどってきたといっていい。この五弦琵琶の姿にすぐ湧いてくる気もちは、これをかなでた人が目に見えてくることだった。また自分にも抱いてみたい意欲をそそられることである。抱いてみたい心をもたせる琵琶などはかつてよそでは見たこともない。
 触感を思う物では、羊毛の花もうせんがある。花もようの中に陶画の人形手といったような童女の姿が織りこんであり、作者の意匠にほほ笑まれる。女帝孝謙も、僧侶政府の道鏡大臣も、ある日こうした物を踏んでいたのかとそぞろおもう。もひとつの向日葵のような大きな強いもようの方には古いアジアが反射している。

 ほかの専門家がいうだろうから私はなるべく目につかない物を拾おう。
 ふと見のがしやすいが薬種の部に、[#挿絵]蜜がある。唐朝輸入品で蜂蜜を固形したものだ、なめてみるわけにはゆかないが、これはきっと甘いはずだ。工芸にも使われたが、現代のローヤルゼリーのような栄養補強にも愛用されていたのではあるまいか。矢を入れる矢入れ、手箱、薬種の草根をつつんだ編み物、そ…

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